昨日「嘘もん食品」について記述したのだけど、今日はその続き。
「嘘もん食品」というと、なんとも失礼な呼称にも聞こえるのだが、僕の食べたトリュフ風味のチーズにはトリュフは入っていないし、カニカマにも蟹は入っていない。こうした食品はモノホンではないのだから、やはり「嘘もん」ということになる。
ただ、これらの「嘘もん食品」の中でもトリュフ風味とかカニカマみたいなものは、そもそも堂々とした嘘…というよりも「特に嘘はついていないけど、モノホンではない食品」なのだから、非常に潔く紳士的な食物のようにすら思う。「トリュフや蟹が入っています」とは言っていないし、安価に売られるこいつらに誰もモノホンの期待をしていないしね…。
こうした紳士的な嘘もん食品とは違い、なんなら本当に人を騙してやろうか…というような食事に接したのでそれについて書く。
数日前の僕の朝食の写真なのだが、白飯、ビンナガマグロの漬け、白菜の漬物…という普通のメシのように見えるだろう。実はここに大きな嘘が隠されている(…って、隠しているのも僕なのだが)。
この時の白飯は、前夜に浸水していた炊き立てのものだ。この間、新米を買ってきたのだけど、これが本当に美味くない。全く魅力的ではないし、不味い御飯を食べることは米が本当に勿体ないので少し細工をした。
油と砂糖を加えるのだ。油は香りのしない太白胡麻油。そして研いで浸水している米に砂糖を加える。これにより、炊き上がった御飯は油の艶でピカピカしているし、噛み締めると甘いのだ。そりゃ当たり前だ…。砂糖が入っているのだから。
先日買った静岡コシヒカリの新米はそのまま炊くとピカピカするなんてとんでもないくらいにボソボソだったし、噛み締めても甘みを感じ取ることが出来なかった。
とにかく不味い米だったので「アレは古米を新米と偽って売られていたもののはずだ」と思うことにしている。そんな米がピカピカのもちもちに炊き上がっているのだから、凄い変わり様だ!
…って何度も言うが、これも油の艶と砂糖の甘みによる美味さなのだ。米本来の力ではない。そしてこの食物のことを白飯と呼んではいけないように思った。
そしてオカズのマグロであるが、僕としては珍しくビンナガマグロを買った。ビンナガマグロを食べることは滅多にない。好きではないから。しかし、この日はなんだか美味そうに見えたので買っていた。
買ってきたビンナガマグロは刺身で食べてみたのだが、こいつには残念なくらいマグロらしい旨味などなかった。一切れ食べてみた後は特に食べたくなかったので「漬け」にして浅葱を加えてみた。それでもビンナガマグロは単なる魚の肉片を食べているだけ…にしか感じられず、どうにも箸が進まずにいた。
…とは言え、「食べられないほどに不味い訳ではなく、食べたくなるだけの美味さがない」だけのものなので、捨てるのも惜しい。そんな訳で漬けにしたマグロに少量のマヨネーズを混ぜ込んで一晩冷蔵庫に放っておいた。
そして翌朝食べたこの漬けはことのほか美味しかった。また買ってこよう…なんてことは決してないし、僕は当分ビンナガマグロを食べることもないのだろうけど、なんだかしっとりとして旨味も仄かに感じられるようだった。
この日、僕が食べたのは「太白胡麻油と砂糖の炊き込み御飯(白飯風)」と「ビンナガマグロのマヨネーズ漬け(マグロ刺身風)」と呼ぶのが正解で、「白飯とマグロの漬け」と呼ぶには抵抗のある「嘘もん食品」だった。
米に油と砂糖を混ぜるなんて、とんでもないインチキ行為のようにも思うのだけど、炊き込み御飯の美味しさなんて調味料によるところが大きい。
僕はどうにも不味いビンナガマグロにマヨネーズの油分を染み込ませたが、売られているマグロのタタキ身なんて油脂が練り込まれているものばかりだし、養殖飼料で人工的なベタベタな脂にまみれた鮭を「脂が乗って美味い」という人も沢山いる。
そう思うと「嘘もん食品」なんて、そこらに溢れかえっているし、外で食べるものなんて「白飯に油分と砂糖」なんて「秘伝の隠し味」と自慢するようなレベルで多用されている。
なんだか嘘にまみれた食環境に憂鬱になりそうにもなったのだが、事実、僕の食卓は「不味い静岡コシヒカリやビンナガマグロ」が嘘調理のお陰でとても美味しくなった。こうした嘘により、日々を幸せに暮らせているということを複雑に思う。