休日の今日は朝から掃除をしたり、散髪をしたり、ベランダ菜園の整理をしたり…と、実に休日らしいことをして過ごした。
昼からは近所に日用品の買物に出掛け、先月オープンして今だに集客力という点では輝きを放っている成城石井に行ったり、アイスコーヒーやらウイスキーという「僕にとっての日用品」を買ってきたりした。
成城石井は僕の生活導線のほぼド真ん中にあるので特に欲しいものがなくとも立ち寄ってみたりするのだけど、今日は「蓼酢」がないものか?と店を覗いてみた。夏の終わりに取り寄せた「高津川の鮎」がまだ数尾残っている。これを一層美味しく食べるには、やはり蓼酢も用意したくなってのこと…。
「そうしたニッチなものにもメチャメチャ強い」と信じている成城石井であるが、サラダのドレッシングなどはどこに需要があるのか僕にはわからない程にマニアックなものがあるのに、蓼酢はなかった。まあ、知識の浅い僕が知り得た知識においても「モノホンの鮎料理人」は湿地やら河原で蓼を摘み取ってきて自作するそうだから、簡単に成城石井などで手に入れてはいかんよ!…という神の啓示のようなものだったと思うことにしよう…。
さて、午後は買物から帰宅してラッパの練習をしていた。夏を迎えてからは「やれ、夏を楽しむべきだ」とか「今には今しかできないこともある…」なんてことを自分への言い訳にしてラッパの練習を疎かにしていた。
そんなことをしていると、音楽性云々というよりもそもそもラッパの音を鳴らすということも困難になってくるので、ますますラッパから遠ざかっていく。この悪循環はもう数十年かけて分かっていることなので、そろそろお終いにせねばならん!と意気込んで、今日の午後も筋トレのようなラッパの練習に取り組んだ次第…。
そんなことをして過ごしていると、どうした訳か無性に「濃いファンク」を聴きたくなった。
そもそもファンクという音楽は好きではあるが、僕のファンク嗜好というものは30年前に衝撃を受けた音源から殆ど進歩していない。「ファンキーな音楽」とか「ファンクの巨匠へのオマージュ」みたいなものを感じ取れるものは、その時代都度都度に好んで聴いたりもするが、結局それらは真のファンクではないような気がして、そんなに長く好きであったりしない。

「濃いファンク」を聴きたくなった僕は迷うことなくジェイムズブラウンをかけた。世の中では、彼のことを「ジェームス・ブラウン」と称することが多いようだが、僕は「ジェイムズブラウン」と呼ぶ。「JB」ということも多いけど…。
1970年あたりの彼の率いるバンドの威力は凄まじく、その時期の音源を聴いてしまうと他のファンキーな音楽というのがなんだか「フヌケ」のように感じられてしまい、何を聴いてもなんの刺激も感じられないような「JB以外はED」みたいな状態に陥っていたことも過去にはあった。
彼のアルバムで一番好きなのは1971年のパリでのライブ盤「Love PowerPeace」なのだが、今日ウチの棚を探したところ、肝心のそいつは見つけられなかった。

このアルバムをとにかく名盤だと思っているから、酒を飲みながらこれをかけていると、一緒に聴いている人にも無理矢理レコメンドして、なんなら「いいから、このCDをお前にやるから持って帰って死ぬほど聴け!」と言って渡した記憶も数回ある。そんな訳で僕はこのアルバムを酔っているうちに何度も人に譲渡してしまい、これが自宅にないことに気がつくと度々同じものを買っているのだが、まさか今日、僕のウチに備えられていないとは思っていなかった…。



CDを持っていなくとも、YouTubeには彼のパリでのライブの模様も落ちていて簡単に見ることが出来る。このライブの模様は若い頃にブートレッグの白黒のVHSカセットをどうにか入手して、アホのように見まくっていた。
そんな時代と比べると、高いカネを払わずに興味のあるものを自宅にいながらスマホをポチポチするだけで簡単に見ることが出来る…なんて凄すぎる。
単純に音楽を楽しませて貰うリスナーにとっては環境の進歩(変化)というものはとても嬉しいものだが、僕の心を揺さぶる音楽というものが、そうした技術の進歩とは全く関係なく「50年以上昔のもの」というのもなんだか寂しいことのようにも思う。