昨夜、秋刀魚を焼いて食べた。
このブログの管理元の『今週のお題「秋の味覚」』に乗ってみるのだけど、やはり僕も秋になると秋刀魚のことが気に掛かる。
しっかりと記憶しているわけではないが、この数年「今年は秋刀魚が不漁」みたいなことを何度も聞いていたような気がする。
昨今の物価高の影響もあるので単純な比較は出来ないのだけど、僕にとってのベストな秋刀魚価格は1尾98円。丸々と肥えた特に型の良いものであれば1尾148円くらいであろうか…。
秋刀魚が豊漁だった年…というのがいつのことだったか覚えていないが、過去にそんな値段で美味しい秋刀魚を食べたということだけはしっかりと覚えているものだから、この数年は魚売り場に秋刀魚が並んでいても特に惹かれない。僕の食意地は人の数倍発達しているというのに!
昨夜食べた秋刀魚は3尾で450円のものが20%安くなったものだった。1尾あたり120円くらい。丸々と肥えたものではなかったが、この値段なら秋刀魚を食べるのもよかろう…と思い、買ってきたものだった。
昨日の沼津は夕方頃から降り始めた雨により、僕が帰宅することろには外気も肌寒く感じるようになっていた。「いよいよ秋らしい気候になってくるのだ!」と俄然楽しくなってきた僕は、帰宅してから大根をおろして秋刀魚を丁寧に焼いた。
秋刀魚を美味しく食べるには、当たり前のことだが「秋刀魚をうまく焼く」ことに尽きる。これには脂の乗った秋刀魚の脂を一滴たりとも無駄にしないような気持ちでじっくり焼くことだ!…と僕は信じている。
しっかりとその身に脂を蓄えた旬の秋刀魚を皮を破ることなく「皮の中でその脂が全体にいきわたるように」じっくりと焼くと、肋の小骨も油で揚げたかのように香ばしくカリッと美味しくなるし、ワタも臭みなどなく、酒がすすんで仕方ないよ…というほどの美味さに仕上がる。
だから僕は秋刀魚を塩焼きにする時は「とにかく皮を破らないように丁寧に扱う」のだ。秋刀魚の頭を落としたり火が入りやすいようにと皮に切れ目を入れる人もいるが、僕は絶対にそんなことをしない。秋刀魚の塩焼きを食べるのに「その身上であろう脂を逃す行為」ということは愚かなことだと思っている。「目黒の秋刀魚」の馬鹿殿様のような行為なのに、そんなことを推奨するように「皮に切れ目を入れて…」なんてことを推奨しているレシピなどを見ることも多いが、僕は味の分からん人の行為なのだと思っている…。
まあ、「秋刀魚の脂を楽しむ」には焼き方だけでなく、全身に大いなる脂をたたえた「秋刀魚自体の良し悪し」が大きく影響するので、メチャメチャに脂の乗った秋刀魚ならば切れ込みを入れてもいいのだろうけど…。
昨夜の秋刀魚は「そんな良し悪し」を鑑みると特別に凄いものではなかったのだが、やはり折角買ってきたものなのだから最善を尽くして食べるべきなので、余熱で温めた魚焼きグリル、そして網には皮が少しで剥がれぬようにサラダ油を塗って丁寧に焼いた。
「じっくりじんわり」というのが魚を焼く時のコツだと思っている僕は、基本的には弱火にしながらも途中途中でグリルを引き出して、可愛い秋刀魚の様子を伺う。すると一つの異変に気が付いた…。
丁寧に扱った秋刀魚であるが、ワタの端の方(秋刀魚の肛門付近)が破れて、そこから熱によって沸騰し始めた旨味の元であるワタが流れ出ているのだ。
小型の魚は鮮度が落ちてきていると、見た目には特に損傷なくともハラワタ付近の皮が弱くなってきて、調理しているうちにそのあたりが崩れてくるものだが、昨夜はまさにその典型の状態が僕の秋刀魚にも見られた。
そもそも1尾あたりの価格も安価なものだったし、それが20%オフになっていたのだから、その鮮度にも難があろうことは予期しておくべきだった…。
そんな調理過程を経て食べた昨夜の秋刀魚、僕にとっては今シーズン初の秋刀魚だったのが、それは特に美味しいものではなかった…。
丁寧に焼いた秋刀魚を食べながらウイスキーを飲む夜。特別に脂が乗ったわけでもない秋刀魚の身を噛み締めながら「安さに惹かれて買うからこんなことになるのだ…。」と反省しながらウイスキーをグイと飲む。
しかし、あと2尾もあるぞ…。こいつらは明日の夕食にしようかと思っていたのに、既にこの秋刀魚を塩焼きにして食べたくはなかった…。だからと言って、冷蔵庫に放っておいても秋刀魚の鮮度が新鮮になることなどない…。
そんな訳で、僕はの残った2尾の秋刀魚の頭を落としワタを抜いて、梅干しの保存容器に染み出してきていた濃度の高い梅酢を加えて「梅煮」にしておいた。
鮮度に難のある秋刀魚に限らず、そして魚に限らずに、買ってきた食材は新鮮なうちに加工をしておくと「その新鮮な味わい」を損ねることなく、それなりに美味しく食べられることが多い。
この典型は漬物であり、買ってきて1週間おいた野菜を漬物にしても、それはやはり鮮度を失った野菜を漬物にした味がする。新鮮な野菜を漬物にすると「その鮮度やら季節の背景を含めて真空パックにでもしたような」野菜の美味さが漬物に反映される……って、少し大袈裟に言い過ぎたけど…。
しかし、煮魚を作るにしても、やはり魚の鮮度はいいに越したことはない。それを作りたて(煮たて)に食べるのが美味しいのだけど、いくら食意地の張った僕であっても、この「秋刀魚の梅煮」はその場では食べなかった。
この秋刀魚のうちの1尾は今朝の朝食に食べた。昨夜の秋刀魚の塩焼きへの期待値が大きすぎたのだろうか…。そして「ダメな秋刀魚」の再利用調理を見くびり過ぎていたのだろうか?
朝食に食べた秋刀魚は実に美味しいものだった。
だけど、梅煮を作るために秋刀魚を買いたいとは僕は思わない。秋刀魚は脂がプシュプシュ吹き出すような塩焼きで食べたい。食材にもよるが、秋刀魚においては「再生料理としての2号は、どこまでいっても所詮2号…。申し訳ないが、正妻の塩焼きには敵わんのだ…」そんなことを考えながら朝食を済ませて仕事に向かう朝だった。