datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

生活の中の趣味

昨日、栗を剥き、栗御飯を炊いた。

一昨日から息子が沼津に遊びに来ており、昨日は朝食を摂った後、栗を買いに出掛けて一緒に栗御飯を作ったのだった。

栗という食材を特に嫌いだとも思わないが、栗を買うのは何年ぶりだろうか。僕が自分の意思で栗を買うことも滅多にないが、人がくれると言っても固辞するような気もするので、僕は栗を嫌いなのかも知れない。

僕自身と栗の関係はそんな程度に希薄なものなのだが、昨日は息子と話しているうちに栗の話題になった。特に栗にズームした訳でもなく、「彼らが普段下宿で食べているもの」ついて話しているうちに「栗御飯なんて食べることはないだろう?」みたいな流れになったのだ。

 

僕が外食をすることは多くない。「外の店じゃないと食べられないもの」というものもあるが、そこまでそれを食べたくなることも多くない。大凡のものを自分で作って食べることが出来るし、その方が僕の口に合っている。そりゃそうだ、自分の好みは自分が一番よく知っている。

そして、何より安い。…安く食べられることよりも、少しでも贅沢に出来る。回転寿司を安いという人がいるが、それはしっかりとした設えの寿司屋で食べるより安い…という話しになるだろう。

回転寿司にもいろいろあるのだろうが、本鮪の寿司を腹一杯堪能しようとすればそれなりにお金はかかる。これがビンナガマグロなら安くなる。まあ、鮪の種類はどれでもいいのだけど、回転寿司で鮪の寿司を食べるより「同じ魚種の同じ価格分」自分で鮪の柵を買ってきた方が、質なのか量なのか、より美味しいものを食べることが出来る…と僕は考えている。

牛丼チェーン店で500円くらい払って食べるものより、500円の材料で自分で作ったものの方が美味しい…という話だ。

なんだか、当たり前の事を偉そうに書いてしまった。飲食店の食物には店員の人件費や店舗の家賃が含まれていて、更にはその上で利益が出るように儲け分も乗せられた金額の食物なのだ。原材料費なんて支払う価格の2〜3割しかかけられていないのだから、僕が同価格の原材料費を使えば簡単に3倍位贅沢なものを作ることが出来る計算になる。

食物の価格は人件費も家賃も鑑みなくてはならないのだが、幸い僕は自分が食べるものを自分で作ることに辛さは感じないし、外の店で食べるよりもずっと寛げる自宅がある。

料理をすることを労役のように思う人には無理な話だ。苦痛を伴う作業を行ったうえに、出来上がったものが不味かったりしたら…。そして、その材料費も自分の財布から出ていたら…。これは相当に厳しい拷問になるのだろう。

幸い僕は料理を作ることが楽しいし、出来上がったものも大体満足する。ゴルフ好きがプレイ代を払って芝刈りに行くように、僕は趣味として日々の生活の中でお金を払って料理をしている。

…普段の生活において、こんなことを考えているから、下宿生活を送る息子と娘にも自炊の大切さを伝える。そして、料理の楽しさについて語り合う。そんな話から栗御飯の話題に繋がったのだ。

久しぶりの「栗を剥く」という作業は分かってはいたが、やはり面倒なものだった。そして小豆を浸水して煮る。餅米の水加減に気を遣う。

作り慣れたものではない「栗の入った小豆のおこわ」を作る作業は確かに面倒なことが多かったが、こういう時はゴルフの難しいコースを回るようなものだ…と僕は思うようにしている。簡単ではないものにはそれを攻略する楽しみもあるし、この先の対処法を体得出来るチャンスなのだ…と。

炊きあがった栗御飯は昼食に息子に食べさせた。割れた栗が多いのは「平素から栗に接することのないおっさんと兄ちゃん」の二人の作業によるためだ。

そして昼過ぎには息子はタッパーに詰めた沢山の栗御飯を土産に持ち、東京へ帰っていった。東京には栗やら薩摩芋という僕は好きではない秋の味覚を好物とする長女が待っていた。彼女への土産…ということもあり、僕は数年ぶりになる(そして息子にとっては人生初となる)栗御飯を作ったのだった。

美味しいものを土産にしようと思えば、少し奮発すればそれなりのものを手に入れることが出来る。しかし、市販の何かを持って帰るよりも「父と兄が朝から作った栗御飯」の方を彼女は喜んでくれるものだろうと僕は思っている。