datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

なにが主役なのか?

今夜は「鰤の刺身」を食べている。

これは昨日、スーパーで安価に「鰤」として売られていたものであるが、実際には鰤ではなくハマチなのかイナダなのか…という大きさのものである。まあ、鰤ではない。だから「冒頭の鰤を食べた」というのも嘘です。スミマセン…。

種族としては同類ではあろうが、出世魚というものにはきちんと大きさごとの呼び名があるのだから、その名を偽って売ってはいかん!と思う。

鰤というのはもっと大振りのもののことを指すし、それ相応の大きさに育ったものにはそれなりの脂の旨さもあるものだ。「実を伴わないものを都合の良い名前で売る」ものだから、鰤の脂の旨さを知らずに「バサバサしていたので脂の旨味が身上の鰤だが、大して美味しくもない…」なんて言う人が増えるのだろう。

さて、鰤…もとい、今夜食べたイナダはやはりイナダなのだから淡白な味だ。そんなことは切身を見た瞬間に分かっていたので、厳密に言うなら刺身にせずに、のっけから「漬け」にして食べた。だから「冒頭の鰤の『刺身』を食べた」というのも嘘です。スミマセン…。

炒った胡麻を摺り、煮切りの酒と醤油に各種薬味を加えてしばらく置いたやつ。薬味を足した調味料、とりわけ「胡麻」を加えたのだから「ごまかすこと」この上ない「一種の嘘もん料理」なのだけど、これはこれで美味しいものだった。

僕らも住むこの世界には、アミノ調味料をスルッと加えていたりすることで、ものを美味しく食べるための嘘は溢れている。そして「そうした嘘をなるべく排除しているような自己満足」に浸っている僕の食卓も、やはり嘘に満ちている。

薬味やら調味料によって下駄を履かせることも「どこまでが嘘もんで、どこから正当な調理なのか?」考えれば考えるほど分からなくなる。極論を言うと、ハマチの切身を醤油もかけずに食べるスタイルになってこそ、素材の味を語る資格があるのかも知れないけど、塩っけもないそんな不味そうなものを僕は食べる気がしない…。

さて、今日の「いろんなもので下駄を履かせたハマチ」の美味さのMVPは山葵だった。仕事で伊豆方面に出掛けたので、そこで買ってきたものだ。

沼津に住んで良かったことは「良質の山葵を安価に買えるようになったこと」が一番だと思う。こうして山葵をおろして、鰤なのかイナダなのか分からん魚(まあ、イナダなのですが…)を小賢しい調理により美味しそうなものにしても、そんな小技はぶっ飛ばすくらいに今日の山葵は美味しかった。

こうして今夜の夕餉を振り返っていると「今夜食べたのは山葵」と断言するべきなの知れない。この山葵を美味しく食べるために、イナダとか摺り胡麻とか茗荷や紫蘇の薬味を添えた…という食卓だったように思う。