昨夜は酒を飲みながら、椎茸をグリルで焼いたものを食べて夕食を終えた。
年々代謝も落ちているので、普段から食べる量を減らした方が「折角食べる時の食事の美味しさ」も数倍になることは分かっているのだけど、なかなかそうは出来ない。
一昨日食べたイナダの漬けを食べるのが楽しみだった。しかし、昨夜は我慢。空腹を感じながらも無理矢理眠ると、やはり眠りは浅くなる。しかし、満腹で眠るとぐっすりと眠れるような気はするが目覚めた時に体が重い。
浅い眠りの中で、僕は「飯を炊いて熱いやつを食べる夢」を見た。眠りながら、コレが夢であると分かりながらの夢。浅い眠りの中では「夢だと認識しながら夢をみている」ということがたまにある。うつらうつらとした途中で目を覚ました時、メシの甘さとそして満腹感が残っていた。
そして、今朝はいそいそと飯を炊いて朝食を食べた。
贅沢な朝食だ。
イナダの漬け、青柴漬、山葵、そして煎茶…という献立も僕にとっては贅沢な朝食であるのだが、炊き立ての熱い飯を熱いうちにお茶漬けにするということ。これがとても贅沢なことだと思うのだ。
「刺身の茶漬け(湯漬け)」は僕の好物だ。人に好物を問われると「刺身とかすき焼き」なんてふうに一般的に御馳走らしきものを答えてしまうのだけど、美味い刺身を食べていると食べている端から「今夜は飯を食べずに眠って、明日の朝食にこいつを茶漬けにしたら…」なんて食意地の張ったことを考えたりもする。
そして、炊き立ての飯も本当に美味い。僕は炊き立ての飯は熱いうちに食べて、食べきれないものはすぐに冷凍する。米は量を炊いた方が美味い…と信じているので、毎回炊いたものを食べ切るわけもないのだけど…。
中には、冷凍保存しておくためだけに飯を炊く人もいるようだが、僕にとっては「炊き立ての飯を熱いうちに食べないこと」が勿体なく感じる。だから、飯を炊くのは「飯を食べる時」にしている。炊いたら食べる…そんなことをしているから太るのだけど…。
炊きたての熱い飯にはそれだけでオカズが一品増えたかのような美味しさがある。そんな飯にお茶をかけて食べるということが、なんだか「炊きたてならではの美味さ」を無駄にしているような罪悪感を感じるのである。
そんな勿体ないことをしていると思う一方で、やはり茶漬けにするのも炊きたての飯だと一段と美味いなぁ…なんて強く思いながら、朝食を啜り込んだ。