数日前、お茶漬けを食べた。
この日の茶漬けはこれまでに食べたことのある中で一番贅沢なもののように思った。
炊いたばかりの熱い飯に数日熟成させたヒラマサの刺身、そして山葵の醤油漬けとおろしたての山葵、更には青柴漬を添えて熱い煎茶をかける。全くの隙がないくらいの「僕の好物ばかりで構成された、これまた好物のお茶漬け」なのだ。
炊きたての新米はそれだけで食べすすめられるくらいに甘みがあるし、青柴漬をオカズにするだけでも充分な美味さだ。そこに山葵やら刺身もつくのだ。刺身は軽く塩をして数日寝かせておいたヒラマサ。なにもお茶をかけなくても…という意見を僕も持ったが、これはお茶漬けを馬鹿にした考え方のようにも思えた。
飯にお茶をかけて食べる…という行為はなんだかうらぶれていて見窄らしいことのようにも思う。これは僕がこれまでの生活で「お茶漬けをみくびってきたこと」に培われた考え方なのだろうね。
炊きたての飯にお茶をかけたからと言って、その飯の味が大きく損なわれるものでもないし、炊いてからしばらく経った冷や飯にお茶をかけて食べるよりも、熱飯をお茶漬けにしたほうが美味しい。
具材にしたヒラマサにしても各種漬物にしても、お茶漬けに加えたからと言ってその美味さがマイナスになることなどない。むしろ、僕にとっての相当な御馳走であるヒラマサの刺身などは、それを少しでも美味しく食べようと思うのならば、茶漬けが一番の食べ方であると思っているし、ヒラマサに敬意を払うのなら、炊きたて飯の茶漬けに添えて食べるべきなのだろう。
熱い煎茶により半煮えになったヒラマサを咀嚼して醤油味の茶と飯を啜り込む美味さ!
カッコつけて気取ったスタイルでものを食べるのも楽しい。しかし、世に言われる食物の格みたいなものとは関係なく、美味いものは美味いし好きなものは好きなのだと茶漬けをかっ込みながら強く思った。
「僕はお茶漬けが好きです。特に熱い飯とヒラマサのやつ。山葵と柴漬があれば言うことありません。」たらたらと書いた今回のブログも、これだけで良かったのだ。