この秋、複数の方からワインを頂いた。
いずれも仕事でお世話になっている方からのものなのだが、その方々には日々感謝しているし「仕事上の感謝」を別のこととしても、折角、頂いたものなで大切に味わいたいものだ…と思う品である。
僕は平素からワインを嗜む習慣はない。そして、そのワインが「ワインの世界においてどのくらいのレベルのものなのか?」も知らない。多分、価格でしかものを判断できない「それの良し悪しを語る資格もないレベル」の人間だと思う、ワインについては…。
そんな無粋な僕がワインについて語ることなどないのだけど「そんな僕に対してであっても、なんなら美味しく飲んでくださいね」という気持ちのこもったもののはずだから、分からない者なりに最善を尽くして頂きたい…なんて思っている。
ワインを貰ったのはこの一月の間のことなのだが、前述のように「最良の食卓を支度して、そこにワインを…」なんて思っていたら、そんなチャンスは巡って来なかった…。
過日(と言っても、この一月で僕が食べたものの写真だけど…)の夕餉の献立は、全く頂き物のワインをわざわざ開けようと思えるようなものではないし、写真を載せた「鰤の塩焼き」やら「ニラ玉(御馳走っぽく豚コマ入り!)」やら「湯豆腐」、そして「山葵漬」などは間違いなく「僕の好物のひとつ」なのだけど、「折角のワインチャンス」を彩るものではない…。
載せてみた写真にしても「何かこのブログに書くこともあるかもな…」みたいな感じで撮っていただけの写真だし、写真を残していない「もう本当にどうでもいいメシ」の方が僕の生活においては圧倒的に多いのだから、僕が自然に生活をしていたら「ワインを美味しく飲むための献立食卓」みたいなものは、自然にやって来ることなどないのだろうね…。
そんなことを考えながら「頂いたワインを賞味せずに過ごしていた状態」で、今日はワインをくださった方の一人と会った。
僕が逆の立場なら「一月も前に贈呈したワインの感想を尋ねる」だろうし、先方から聞かれなくともそうした感想を伝えるのが礼儀のように思うから、本当に気が重かったのだけど、そんな「僕の気の重さ」とは無関係に商談の必要性というものは発生するものなのだ…。
今日の商談では、まあ、ここに書いたことのような僕の日々の食生活の雰囲気を言いながら、なんとも言い訳がましく「結果的にまだワインを頂いていないのですよ…。スミマセン。」みたいなことを伝えた…。
先方が「僕のワイン賞味力(?)とか、ワイン食卓力(?)」にどれほどの期待を持っていたか知らないが、「◯◯さん(僕のこと)、そんなに気張らずに、この間のワインは何の料理と一緒に飲んでもいいんですよ…。これからなら鶏肉のホワイトシチューとか、なんならなんのお肉のソテーでも…」と鷹揚なお言葉を頂いた。
そうなのだ!なんの肉料理でもいいのだ!なんと優しいフォローなのだろう…。
そんなふうにも思ったのだが、そんな「ホワイトシチューとか何かの肉のソテー」みたいなものが普段の献立に出てこないから、僕は往生しているのだ…。決してそれらを嫌いではないし、なんなら食べたいようにも思うけど、台所に立つと「そうではない安ウイスキーにジャストマッチしそうなもの」を反射的に作ってしまうのだ…。だから困って変な言い訳してるんですよ…ということを思った。
そこから「取引先の某氏」は僕を安心させるための優しさ100%のような言葉を続けた。「僕は体質的にアルコールを一切飲まないのです。だから、このワインになにが合うのかも僕自身は判っていません…。だから、そんなに気を遣って頂く必要もないのですよ!アッハッハ…」とのこと。
……。
某氏の気遣いは本当に有り難い。
しかし、そんな言葉は真に受けずに、僕なりの「いいチャンス」のある食卓に頂き物のワインを賞味したいと思っているし、それは冬が始まる前に自ら作り出したいと考えている。