昨日の朝、久しぶりに麦シャリを炊いた。
湯気の立つ熱々の飯というものは、そこに麦が混ぜられていても実に美味い。
例年のことなのだが、秋になって新米が出回り、その新米の飯の美味さを知ってしまうと米に混ぜものをして炊くことが米への冒涜のように感じられてしまう。「せっかくの新米様の美味しさ」に失礼なことをしているように思う。
秋になると新米の銀シャリに舌鼓を打ち、秋が終盤にさしかかる頃にはその美味しさにも随分と慣れてしまって、秋口に新米に接した時のような感動は感じられなくなる…。人の口が驕っていくことの早さには驚く。
そして、新米の美味さを特別に感じ取ったりせず、普通に美味い飯だと思うようになる頃、僕は体調の不調を感じ始める。秋から冬にかけては「僕が好まない仕事上の会食」が増えてくるからだ。そして「銀シャリを食べている場合ではない。麦シャリだ!」と麦飯を炊くのだ。
狙ったかのように、このサイクルはちゃんと(?)毎年の恒例行事になっているかのようにやって来ている。そんなことを分かっているのなら、秋から会食以外の食事を節制すればいいものなのに、僕のバカさ加減も例年のサイクルとしてちゃんと訪れるようだ…。
麦飯といえば私の頃は八割が麦だった。それもいまのような押麦ではなく、粒のまま咲ましたのを二割の米ともう一度炊きあげるのであった。いまでも私が麦飯を好む雅びた習性は感化院時代に身につけたものである。麦のほかに大豆もよく食わされた。当時、大豆は満州からいくらでも入ってきた。後年、私はある医者から、麦と大豆を食べつづけていると、それがアルコール解毒剤の作用をなす、ときかされたとき、酒が強いのはそのせいだったのか、と感化院の教育に感謝したものである。当世では、麦をたべるというみやびた食生活はすっかり廃れてしまったが、………
これは僕が好きな立原正秋の小説の一節。
氏の小説には若い頃に没頭し、僕は20代の半ばくらいから麦を食べるようになった。
好きになったものの影響を簡単に受けてしまう僕は「雅やかな貴族の飯」として麦シャリを食べるようになったのだが、軽薄な付け焼き刃なものだから、秋になると「おいち〜い!頭が痺れるよ!」と銀シャリを喜ぶのである。
僕が食べた麦シャリは押麦を4割くらい混ぜたものなので「立原先生のいう貴族の飯」には及ばないものだ。麦の割合を6割まで増やして、そこには押麦ではなく粒の麦を入れていた時期もあったが、これはもうやたらにポロポロで箸で口に運ぶのも難しく、飯と呼ぶものなのかかどうかも分からないものであり…とにかく、僕の口には合わなかった。
しかし、麦シャリを食べると体内のアルコールやらそれに付随した悪いものが分解されるような気になるし(ただの麦にそんな効能があるわけないことは分かっているけど…)、やはり「人間、たまには雅やかな飯を食わんといかんね…」なんて思うのである。