久しぶりの休日の今日は朝から冬支度をしていた。そう言えば、先週は土曜も日曜も仕事に出掛けていたので、ユルめの仕事だったとは言え、そんなこともあって疲れを感じていたのかも知れない。
今朝は冬用の靴下(ハイソックス)を買いに出掛ける前に、残りものの味噌汁に麦シャリを加えてグラッと煮た熱い雑炊を食べた。先日、こちらに記した「立原正秋による麦がアルコールを分解する説」は医学的な根拠など無いとしても、「麦を食べること」はなんだか気持ちの上で免罪符になるような気がしている。
「鰯の頭も信心から」とか「病は気から」なんて言うが、麦の効能を信じるということよりも、「落ち着いて麦シャリを食べるという生活のゆとり」が心身をリフレッシュさせてくれているのだろう。
靴下を買った帰り道、スーパーに立ち寄ったところ、蕪が半額で売られていた。
秋口から何度か簡易漬物器で漬けた白菜も残りが少なくなってきていて、そろそろ次を仕込んでおかないと熟成されたものが途切れてしまう。
僕は「なんだか塩味やら調味料による旨味とか、香料や酸味料による味だけがついたような浅漬け」は漬物だと認めていない。あれはサラダとかお浸しだ。塩漬けにした野菜を乳酸発酵させて、その酸味が旨味に変化していくものこそが漬物だと思っているから、漬物を美味しく食べるようになるまでには早くても3週間くらいはかかる。夏ならもっと早いけど…。
自分の好みとこの時期の漬物の発酵スピードも把握しているから「そろそろ次を仕込まねば…」と2週間くらい前から分かっていたのだけど、しばらくのダラダラ生活によりこれを棚上げしていた。
そんな訳で今日は白菜を買おうと思っていたのだけど、半額の蕪を見つけてしまったからにはこれを買わねばならん!というセコい欲望が先行してしまった次第…。
まあ、白菜とともに蕪の漬物は僕の食卓には欠かすことの出来ない冬の常備菜なので、近いうちにいずれどちらかを買ったのだろうから、良しとしよう…。
買ってきた半額の蕪は葉っぱの傷んだところを取り除き、皮を剥いて薄切りにする。緑の葉が青々とした新鮮な蕪ではないので取り除くところも多いが、半額なのでそんなもんだ。
僕はふたつのスライサーを持っている。ひとつは15年くらい前に100円ショップで買ったもの。長年愛用してきたが、切れ味も良くないのでステンレスのスタイリッシュなやつを買った。一昨年くらい。これはよく切れるのだけど、その切れ味もエッジの深さも値段に比例するようで、随分と厚く皮が剥けてしまう。
結局、蕪や人参などの柔らかなものを剥くときにはボロい100円ショップのもののほうが程よく皮だけを剥くことが出来て便利だと思っている。
皮を剥いた蕪は包丁でなるべく薄くに切る。千枚漬けは鉋のようなスライサーを用いてめちゃめちゃ薄くに切るが、そこまで薄く切らないほうが蕪の味が残って美味いと思っているので、自分で切る。僕の腕では凄く頑張ったところで、市販の千枚漬けのようには薄くならない。だからといって気合を入れてスライスしないと、漬物として美味しい食べるには分厚すぎるものが簡単に出来てしまうので最善を尽くしている。
実も葉も漬け込むが(葉っぱ…というより「茎」か?がスグキのようでまた美味い!)、僕の手動スライスでは全てを切ることが出来ないので「薄切りを断念したやつ」は皮と一緒に何かの料理に使う。今日は9玉の蕪を漬物にしたが、体積的には2玉分くらいの「薄切り断念蕪」が出来た。
蕪の漬物は塩をユルめにしたほうが美味い。乳酸発酵させるのだから、出来上がった漬物は酸味を持っているが、蕪は大人しそうに見えても「その甘さや歯磨き粉のような爽やかさ(蕪に対しては実に失礼な表現なのだけど…)」は損なわれない。それには薄い塩のほうが蕪の持ち味をちゃんと活かすように思っている。
今日は夏物のスーツをクリーニング屋にも持って行った。今更のような衣替えをして、蕪の漬物を漬け込んでいると冬が訪れることを楽しく感じる。