今年は早めに「年末準備の大掃除」にも取り掛かってみたのだけど、やはり12月になると仕事が忙しく、平日は年末挨拶の客先回り、その間に作っておかねばならない提案資料とか数字を纏めた資料などを土日にやっつけるような生活が続いていたので、結果的に大掃除は年末休暇になってから…という有様だ。
今日は部屋の隅々まで雑巾がけをして埃を落として、バスマットやらトイレマットなどを洗濯して過ごしていた。
部屋の雑巾がけなど日々の生活の中でやっておけばいいだけなのに、日常の掃除では掃除機をかけたら満足してしまい「本当に綺麗にはなっていないのに、これでよかろう…」なんて思ってしまう体たらく…。
そんな残りものの掃除を「年末の義務」のようにこなしてから、身の回りのものもケアしようと思って取り掛かった「メガネ掃除」も先程終えた。
僕は日々メガネをかけて生活しているのだけど、メガネをかける人間にとって「人の顔の印象」なんてものは、かけているメガネで大きく左右される…と信じているので、自分に似合うメガネ探しには惜しみなく努力するし、結果的には一年に一つくらいメガネを新調している。
この一年で何度かかけたことのあるメガネを数年前に買った超音波洗浄機で掃除をしたのだけど「今年の主要稼働メガネは16本」だった。今日、掃除していないものの中にも今年かけたものも数本はあるから、そいつらはまた掃除しておこうと思う。
若い頃はコンタクトレンズも併用していたが、日々の維持費における僕の財布と眼球への負担を考えると「メガネの方が経済的だろう」との判断で、もう15年くらいはコンタクトを作っていない…。
メガネ姿がカッコいいと憧れる「僕の中でのメガネアイドル」として挙げられるのは、ウッディ・アレン、フランク・ロイド、オフスタイルのジェームズ・ディーンという舶来スターからトニー谷とか仲本工事と幅広い先輩方になる。
なにも懐古主義者ではないので、おぎやはぎとその他にも流行りの俳優さんがメガネをかけていても「それはカッコいい」とも思うのだけど、俳優のメガネ姿については「メガネを外しても男前」という時点で「僕の中のメガネアイドル」から除外される。
僕は仕事の時以外、プライベートではだいたい色メガネをかけているのだけど、これもそうしたメガネアイドルへの憧れによるもので、ここでは野坂昭如とかタモリとか、反則的であるが原田芳雄が「色メガネ部門での僕のメガネアイドル」だと思っている。原田芳雄はメガネがなくても男前だから…。
松田優作や寺尾聰のサングラス、もっと言うと角刈りにティアドロップがよく似合っていた渡哲也のサングラス姿も素晴らしいのだが、彼らのカッコよさは喧嘩とかブルースとか拳銃というオプションがあってのものなので、僕の中では番外とする。明確な基準はないのだけどね…。
さて、そうした「オプションを反則と見なすメガネアイドル」の中で、僕が「日本人で一番垂れサンが似合っている」と思うのは「仁義なき戦い『広島死闘編』における千葉真一」だ。
千葉真一というよりも「劇中の大友勝利というクレイジーヤクザという役」の凄さなのかもしれないが、これに憧れて僕も25年くらい前から「メチャ濃いティアドロップサングラス」を折に触れてかけるようにしているのだけど、このアイテムばかりは思うようにかけこなせない…。やはりアロハに革ジャンを合わたり、ニッカポッカに地下足袋とか、木刀やダイナマイトや拳銃を携帯するようなぶっ飛んだセンスと男としての大きさ(と同時に欲望に忠実な人としての小ささ…)がなくては様にならないものなのだろう…。あっ、これは「大友勝利の人物像であり、それを名演された千葉真一先生」とは無関係ですよ!
途中から大友勝利(@「仁義なき戦い 広島死闘編」)の礼賛感想みたいになったが、この一年、僕の顔の印象と視力を支えてくれたメガネに感謝しながら、「よりカッコいいメガネ野郎」になりたいと思いながら年末の夜を過ごす。