漬物(白菜、蕪、胡瓜の糠漬)、山葵醤油漬、鳥貝の刺身、鱈子の塩焼き、イタヤ貝と青葱のぬた、山葵の粕漬とクリームチーズ、ローストビーフ、鳥レバーのオイル煮、牡蠣のオイル煮、フランスパン、スパゲッティの塩茹で、この日の献立の残ったもので作ったトマトソース。
これらは12/30午後からの忘年会の席で支度したもの。平素の僕の食卓を思えば、数日分を彩るような「主役級揃いの大御馳走」だった。
酒については赤星に始まり(高校生の娘はジンジャーエール)、スパークリングワインや土佐鶴を飲みながら、チェイサーのように安ウイスキーのソーダ割、あるいは頂き物の少し上等なウイスキーをロックで飲んでいた。
翌日の朝は末娘が作っていて残っていた豚汁を皆に食べさせたあとで、鱈子のスパゲッティと残りもののカレー味の鍋で味付けしたスパゲッティ、そしてフランスパンにトマトソースを塗ってトーストしたものを振る舞った。
二十歳前後の子供たちは当然のように、そして僕より10歳年下の舎弟もよく食べる。ひたすら料理を作り、食器を洗って片付けをしていたら、また次の食事を作る…というような料理漬けの年末年始だったが、昔のお母さんたちの多くはこんな感じだったのだろう。実家の母親も年末年始など人が集まるときにはずっと台所にいたように思い出される。
数日のことだったので僕には楽しい体験だったが、これが毎日続くとやっぱりうんざりするのだろうね…。おい、お前ら、俺は家政婦じゃねえんだよ…なんて言ったりして。
…って、毎日こんな御馳走を続けることもないから、そんなに疲れることもないのかも知れない…。普通に飯を炊いておつゆとオカズを作って漬物を添えるくらいなら別に毎日やるようなことだからな…。
そんなことを考えながら、今朝は久しぶりに粥を炊いた。僕が料理をしたのは、子供たちが我が家に遊びに来ていた元日の昼までで、それ以降は「蕎麦に使った鴨のおつゆと蕎麦湯を混ぜた汁物」とか「大半を子供たちと舎弟に渡した煮染めの残り」とか、カチカチになったフランスパンとか「コロモに浸して揚げ残していた天麩羅を揚げたもの」とか、この数日の残りものを食べている。
残っていた天タネを揚げたりはしたが、これは残りものの処理作業をしたというだけで料理という作業ではない。ならば「粥を炊くこと」が料理なのか?というとこれも大したことはないのだけど、数日ぶりに日々の炊事が戻ってきたように感じた。
大勢で楽しむ食事や御馳走は素晴らしい。しかし、御馳走らしい献立は「非日常の珍しさに敢えてはしゃいでみる楽しさ」みたいなものが根底にあるように思う。そうした楽しさの中には「日々の生活にはない嘘くささ」もあるのだろう。
こうした「巧妙に嘘をまぶしてはしゃぐメシ」というのもたまには必要だ。たまにだからこそ、この年末年始の食卓は本当に楽しかった。
しかし、日々の生活を支えるのは「日常的な普通のメシ」だ。世にいう御馳走ではないが、ちゃんと作ったものと向き合うことが大切なのだろう。そこには嘘をまぶしてはしゃいだりしていてはダメなのだよな…と考えながら、粥を啜った。