先週の金曜日から昨日の月曜までの4日間、僕は東京にいた。
連休中の初日の夕方から東京に出向き、ガキどもの引っ越しを手伝ってくれる舎弟にお礼をする下宿会食をするつもりでいた。回りくどい言い方なのだけど、書いた通りの会食の予定である。
長男と長女はこれまでに何度かは引っ越しを体験しているのだけど、その多くを僕が実務を進めていたので、本当に「引っ越しのコツとか作業の本質」というものを知らない。そのことに驚き、呆れたが、これまでのそうした学びの機会を僕自身が奪っていたのだから仕方ない…とも考えた。
そんなことを考えていると、金曜日に東京出張の仕事が入った。直前に決まったことだったが「天が早めの東京行きを促してくれている」かのように感じた。よし、すぐに東京に行こう…と決めた。
土曜日の昼間には随分前からチケットを買っていたライブがあったのだけど、この際そんなものはどうでもいい。僕は連休中の荷物を纏めて、金曜日の朝7時半過ぎに東京に出発した。
大学生の長女は、来期は大学を休学して1年間のお遊び旅行に行く。現地で金を稼ぎながら海外生活を楽しむワーキングホリデーというやつだ。
そのため、現在兄妹2人で過ごしている下宿引き払う必要があり、長男は手狭で安価で駅から遠いアパートへと引っ越すことになった。
この手伝いを舎弟にやってもらい、僕は引っ越しが終わったところで彼らのお疲れ様会のタニマチとして現れる予定だった。
しかし、予定を早めて上京した僕が目にしたのは「今現在もここに住んでいて、明日引っ越すとは思えない下宿風景」だった。
「住む」という漢字よりも「棲んでいる」という方が相応しいような汚い下宿だ。
ここでの数日間の作業中で、やはり僕はガキどもに指示を送り、それを理解しない奴を叱責し通しだった。生活における効率化作業を説明してやってもなかなか理解しない長男には本当にイライラした。そういう手合いを馬鹿と呼ぶのだろう。
「若さ故…」ということも多少はあるだろうが、二十歳越えたらそのあたりは対応能力を備えていないと厳しい。19歳の時の僕には当然のように備わっていた生活能力を21歳の長男が持っていないことは悲しかったが、そうしたことを日々の生活の中で学び培っていくという「生活への姿勢」を教えていなかった親の責任も四割くらいはあるのだろう…。
こうしたことは僕の父子関係に限らず、日本の多くの家庭でもあることだろうと思う。過保護に育ててしまい馬鹿なガキが育つ…というパターンだ。ちゃんとしたメシも作れないから、工業製品のようなもので食卓構成する奴…。生活の本質を考える力に乏しいから「外食や中食」で平気で無駄遣いしておいて、物価の高騰に愚痴を言う奴…。
そんなことを反省したので、今回の僕は彼らを叱責するだけで、引っ越しの実務は大きなものを運ぶくらいで殆ど手伝わなかった。次はこれしろ、あれしろ、という指令することこそが作業の本質なのだけど、僕がこれを止めてしまうと「この数日」では引っ越しが終わらないような有様だったので、口だけは挟んだ。
昼間は荷物を梱包して運び、部屋を掃除する。足りないものがあったら買物に出掛ける。夕方からは夕食の食材を買物に出掛けて、夜になったら皆で御飯を食べて酒を飲む。そして、エアコンがつかない寒い新下宿で炬燵に入って眠る。父子3人で一緒になっての作業と食事と睡眠だった。
この数日のそんな生活の中、ガキ二人が引っ越しという作業を通じて「便利に過ごすための知恵」を学んでくれていればいいと願う。昨夜、久しぶりに帰宅した沼津の広々とした部屋で広々としたベッドに入って、そんなことを思った。
そして、炬燵の中で互いの足が邪魔な数日だったけど、皆が直ぐ側で眠っているというのも毎日は嫌だけど基本的にはいいものなのだ…とも思った。
今日の夕方の便で娘はオーストラリアに旅立つ。炬燵の中の足が邪魔になることは暫くなくなるし、それを寂しいとも思うが、色々な知恵を身につける旅にして欲しい。