昨日の朝は「筍御飯」を炊いた。筍御飯を食べると「なんだか春も本番になったような」気になり、しっかりと季節を感じながら生活しているようなイイ気持ちになる。
前の晩から支度していたものに朝になって火を入れて炊いただけなので、朝から筍御飯を作った訳ではない。朝はそいつを炊いて食べただけだ…。
色々なものの価格があがる…というニュースを聞くようになってもう長い。米に限らず、野菜も高値が続いているが「筍もやたらに高くなる」というニュースをしばらく前に聞いた。
ケチで貧乏くらい料理が大好きな僕の食卓には「季節を先取りした高価な食材」など並ばないから、筍御飯にした筍も暮れに実家から送られていた水煮のものだ。そいつが詰められた真空パックを見てみれば賞味期限はまだまだ先だったのだけど、折角送られてきたものを賞味期限ギリギリまでとっておくこともないので料理したものだ。
秋の終わりに料理して、食べ切らないものを冷凍保続していた「稲荷寿司やらキツネうどん」にしたら良さそうな油揚げとか「冷凍していた昔の銀杏」を加えた炊き込み御飯だ。まあ、冷凍庫の在庫処分のような「実に慎ましやかなメシ」である。
「筍御飯」というと、なんだか季節感に溢れた食卓のように思えるが、今回の僕の食卓にのぼった筍御飯は「実際には季節感ゼロ」の食物なのだ。モノホンの筍御飯が登場するのはゴールデンウィークくらいのことになるだろうか?
その時の筍の価格によっては、もしかしたら今年は筍を食べない春(というか初夏)になるのかも知れない…。
さて、そんなメシを作ってみたりしているが、この数日、名残りの冬野菜が安くに売られているのでよく食べている。
法蓮草やカリフラワーは冬の味覚だと捉えているが、こいつらがとても安くに売られているので続け様に食卓に登場している。
随分と立派に育った法蓮草が一把で98円、カリフラワーも大きなものが198円。産地だったり良質な八百屋があるところでは全く普通の価格なのかも知れないけど、僕の生活範囲では「これはお買い得!」と思う価格なのである。ちょっと前までは両者とももう少し高く売られていた。
「季節の端境期」なんて言葉をタイトルに用いたが、僕の筍御飯は「季節感ゼロ食品」なのだから、僕の食卓はまだまだどっぷりと冬模様であり、春らしさの到来はまだ先のことになるのだろう。もう春のお彼岸だと言うのに…。
そんな食卓状況だから「春らしさに喜んだり」「季節を語る」ような資格もないのだけど、それでも春を感じられることはなんだか嬉しくなるものだ。