今回もこの間の山口旅行のことを書く。
2泊3日の短かな旅だったが、今回は実家には帰らなかったので外で食事をする機会もあった。何しろ現在の僕の実家は「県全体が田舎である山口県」の中でもトップクラスの田舎町というか田舎村にあるので、実家に帰ると外食という概念が脳内から消え去るのだ…。ド田舎村には飲食店もほとんどないからね。
今回の旅ではド田舎村ではないけど普通に田舎町の湯田温泉のホテルに泊まり、そこから歩いて30分くらいの市民会館やら商店街に出掛けて2日間を過ごしていた。
初日の夜はホテルの宴会場でOB会が開催され、全く不味いわけではないけど特に美味しくもないパーティー料理が饗されていた。ここでは懐かしい人たちと会話することが目的の中心であり、「口の用途」は喋りながら酒を飲むばかりなので食物の味など覚えていないのだ。そうなると「特に美味しくもない料理」で全く問題がなかった。
その後、二次会と三次会とか夜遅くまで旧友たちと飲み歩いたのだけど、ここでもとにかく皆で集まって酒を飲みながら喋りたいだけなので、「酒のツマミとしてどうでもいいもの」を食べたのか食べなかったのかすらよく分からない有様で、山口旅行の初日には全く美味しいものを食べていない(はずだ)。
そんなOB会の翌日は予てから食べたかったラーメン屋に手掛けた。江戸金という店だ。
去年の夏に子供たちと帰省した時にも訪問したのだが、理由も不明の店休が続いていてその時は食べることが出来なかったラーメンだ。このブログの過去の記事を見てみると「2022年に食べて以来」の3年ぶりのラーメンとなるはずだった。
…が、なんと売切。演奏会の昼の部を見てから夜の部までの間に…と16時くらいに店を訪れたのだが、それでは遅かったようだ。店の閉まり具合(?)を見るととうの昔に売り切れて、とっくに店を閉めたような雰囲気だった。
仕方がないので、ラーメン屋から歩いて5分もかからないところにあるうどん屋でメシを食べる。
このうどん屋も思い出の味だし、僕の好物であることには間違いないのだけど、こいつは東京でも食べることが出来るし、実際、1年くらい前に東京で食べたし、去年の夏の山口帰省の時にも食べていた。そして何よりも「この時の僕のギアは完全にラーメンに入っていた」ので、特に感動するものでもなかった。美味いけどね…。「けど」なのだ。
そしてこの日の夜は前回のブログに書いたようにスーパーで買ってきたテキトーなものをホテルの部屋で食べて酒を飲んで過ごした。
さて、その翌日。10時にホテルをチェックアウトしてから市内を散策し、11時前にはラーメン屋の様子を見てみた。11時営業開始なのだ。
10:50頃に店の近くを通ったのだけど、既に店の中には数人の客が入っていて繁盛している様子だった。今日は平日だぞ?なのにこんなに客がいるのか…と訝しく思いながらもすぐに入店して大盛りのチャーシュー麺を頼んだ。
この数年、「美味しいラーメンと言えば透き通ったおつゆの醤油ラーメン」というイメージが出来上がっていた。以前は大好きだった「濁ったスープの濃厚で脂っこいもの」もその美味さは分かるのだけど、身体が拒否しているような感じでそんなに美味しく感じなくなった。これも僕がジジイになったことによるものだ。
ここ、江戸金のラーメンを高校生の時に初めて食べた際の衝撃、そして帰省の度に食べていた時の美味しさは若さを伴わねば感じ取ることの出来ないものなのだろう。そして今回僕は「いよいよこのラーメンを美味しいと思わなくなり、歳をとってしまったことを実感するのだろう…。」本心ではそんなことを思いながら、この店に足を運んだ。
好きだったものに興味を持てなくなるのも悲しいことのように思う。しかし、ガキもいつか青年になるし、ジュースではなく酒の味を覚えていく。物事にはそれを卒業する時があるし、それを成長とも呼ぶ…なんてことを考えているとラーメンが到着した。
3年ぶりとなる江戸金のラーメンは美味しかった。自身の加齢を懸念していたことがミミっち過ぎて恥ずかしくなるくらいに、普通にもりもりと麺を啜り、スープも大半を飲んだ。
この日のラーメンは30年くらい前と変わらぬように思えた。でも、僕が「濃いラーメンがこたえる身体になった」ことは違っていない。懐かしさが胃腸の状況を瞬間的に強化してくれたのか?感情をバグられたのか…。おそらくその両方なのかと思うけど「今現在も江戸金はトップの座を守り抜いていて、僕が世界で一番好きなラーメン」である。