datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

過信していたこと

3月は仕事でのイベントも多かったし、しばらく前から楽しみしていた旅行もあったので「イレギュラー的に忙しかったのだ…」と思っていた。

しかし、4月に入ってからもその忙しさは留まらぬばかりか加速度をつけて忙しくなっているような気がする。

「平穏無事に仕事をこなすこと」を少し先まで計画建ててみると、どうも「今、感じている僕の忙しさ」はこの先も継続されるものであり、どうやら「自分の暇具合」を過信し過ぎていたようだった。ちゃんと仕事を回そうと思うならば、意外に僕は忙しかった…のだ。

そんなことに薄っすらと気が付いていたのだけど、これからはちゃんと「僕の生活効率化」を考えなくてはバタバタとした日が続くことを意識して生活せねばならん…と今夜、改めて思った。

さて、「そんなふうに思うのが当たり前」と捉えるようになると、これまで簡単に過ぎていた仕事から帰宅後の夜の時間も俄然大切に思えてくる。そんな訳で今夜は冷蔵庫の整理みたいなことにも取り掛かってみた。

先日、伊豆方面の客先回りをした際にどこかの道の駅で安くに売られていた蕨を茹でた。

去年の春に八百屋で買ってきた蕨を湯掻いてから1年ぶりの重曹の登場である。去年は灰汁を抜くことに意識が回りすぎて「完全に湯掻き過ぎて」しまった。ふっくらと柔らかに仕上がったのだけど、歯応えもなくなり「単にネトネトとした何かの茎」を食べる羽目になってしまった。

ふっくらと湯掻かれた昨年の蕨は美味ではあったが、野趣のようなものは茹で汁とともに随分と取り除かれてしまい、これを美味しいと言い切るのは完全に負け惜しみのような有様だった。

そんな訳で今年は「湯掻き過ぎないように」ということを念頭に作業してみたが、つまみ食いしてみた蕨の一片からは「ふくよかなネットリ感」はそんなに感じられず、こいつは「サービスエリアなどで蕎麦に乗せられて出てくる山菜のどうでもいい味気なさ」のようにも思えた。

まあ、これは今後の調味とか追加で火入れすることでどうにかなるのではないか?と楽天的な先送りをすることにしよう。

あと、冷蔵庫に保存されていた辣韮も整理した。

僕は5〜6月くらいに毎年のように辣韮を塩漬けするのだけど、そいつの乳酸発酵がちょうどいいところで抑止されるように夏の盛りになる頃から冷蔵庫で保蔵し始めた。

程よい発酵具合で冷蔵庫に入れた辣韮はその後も美味しく食べている。小振りの辣韮を用いているが、そいつを更に小さく切ったものを食べる。旨味と酸味がいい感じで出てきた辣韮は小さく切った方が更に美味い…と考えてのことだ。

これにより「昨年漬け込んだ辣韮」の残りは小さな便一つになった。これを食べ終わる頃には今年の辣韮も漬け上がるのだろう。僕の年間の辣韮消費量は付け始めて数年経った今年、ようやく身を持って適量を知ったことになる。

 

こんなことは「別に今夜じゃなくても分かっていたこと」だし、日々の生活を豊かにしたいのならさっさとやっておけばよかったことなのだ。そんなことを先送りにしていたのは「僕の暇具合への過信が要因」でしかない。

ゆったりゆっくりと過ごすには「瞬発的に忙しく過ごしておくこと」が大切なのだ。当たり前のことなのだろうけど、そんなことを考えそんなことを行動した夜。