胡瓜の糠漬け、小松菜の漬物、金平牛蒡、蕨のお浸し、トマトとパセリのサラダ、筍と山椒の葉、山葵の醤油漬け、南鮪とヒラマサとニベの刺身と焼海苔、熱飯。
昨日の夕方に北海道に住む友達家族が遊びに来た。8歳5歳3歳の子供を含む5人。彼らに振る舞った夕食が上記のものだ。
楽しい夜だったので料理の写真は残していない。こちらの写真は3日前に舎弟が撮っていたものだ。昨夜はその時の献立とほとんど同じものだが、この時期らしい美味いものを食べようと思うと同じ献立になりがちなのだ。勿論、僕の好物であることが最優先されるので僕は同じようなものでも問題ない。そして、ゲストは数日前と同じ献立に対しても初対面なのだ。新鮮な気持ちで僕の料理に出会うのだからこちらも問題はないのだった。
さて、小さな子供を伴えた一家族が遊びに来るとなると子供向けの料理を支度する人もいるだろうが、今回は僕がそこのガキどもを誘ったわけでもないので料理をガキに寄せるような真似はしなかった。一般に言う「お子様メニュー」を食べたいなら、ウチに来なければいい。どこかでメシを食べさせてくればいいのだ。
ガキ向けではない筍や蕨を食べて「ここに来ないと食べられない季節の味です」と喜ぶ友人夫婦。ガキを含めた家族皆が筍をバクバクと食べていた。作った料理を褒められることは嬉しいが、そんなの自分でも作れば簡単に食べられる。「ここに来ないと食べられない」のではない。お前らには食べようとする意思がないだけだ…と思いながら食事を勧めた。
…なんてことを考えていたら、北海道ではこちらで見る「普通の筍」が売られていないとのことだった。安売りスーパーなどでは中国産の加工品の筍が売られているので「北海道に筍がない」というのは嘘だろう。
しかし、北海道が筍の産地でないのならば、「旬の味」として筍に触れるのは珍しいことのようにも思う。食文化として馴染みのないものなのかも知れない。
…と思う一方で、今や産地でなくともいろいろな味に接することは出来る。静岡では鮭は取れないが鮭もイクラも普通に食べるし、外国産のアボカドだって普通に食べられている。北海道の山間部に住んでいるならともかく、都会の札幌に住んでいる。沼津にはないようなちゃんとした日本料理屋だって沢山あるはずだ。
いやいや、料理屋じゃなくても本土で育って春になれば筍を食べたくなる人だって都会の札幌にも沢山はずだ。「食文化として筍に接する環境にない」訳もないだろう…とも思った。