僕は昭和49年に生まれて、中3の正月明けに平成を迎えたのだから、14歳までの少年時代をどっぷりと昭和時代に過ごした。
小学生とか中学生の頃なんて、僕はほぼ親が作ってくれたものを食べて、あとは給食や駄菓子を食べて過ごしていた。僕の通う中学校は給食ではなく弁当持参だったから「少年期に親のメシを食べた頻度」も全国平均で見ても高いものなのだろうと思う。
平成を迎えて高校生になってから、ようやく田舎町の貧乏くさいメシ屋での外食を楽しんだりするようになったのだから「食の原体験」なんてものは完全に昭和仕様(それも親のメシ)なのである。
そんな原体験が作用しているのか、令和を迎えた今現在も「そのまま昭和の食卓を再現した」ようなメシを好んで、そんなものを自分で作って食べているのだけど、昨夜は昭和の日だったこともあり「輪をかけて昭和風の御飯」を食べた。
昨夜の献立は豚の味噌漬けを焼いたものと余り物のトマトのサラダと白飯。トマトのサラダは「サラダというよりもお浸し」になったようなものである。
一昨日の夜は旧友が家族で遊びに来ていて、ほどよく夜が更ける頃には客人の子供たちが眠った。これを待っていたかのように、その後は友人夫婦と強かに酒を飲んで過ごした。
友と語らいながら酒を飲んでいると、とにかくその時間が楽しいので僕の口は「酒を飲み、喋って、莨を吸う」という行為に集中することになる。この夜もそんなにものを食べずに過ごしていたので昨日は朝から腹が減っていた。そして前夜の深酒の影響もあったので、昨夜は酒を飲まずにメシを食べる夜となった。
「豚の味噌漬け」という菜は僕の食卓には頻度高く登場する。季節による差はあれど僕にとっては全く珍しいものでもないし、トマトのお浸しなんて「トマトの旬の時期」には常備菜のように冷蔵庫にあったりするのだから何一つ変わった献立ではないのだが、昨夜はメシを平らな皿によそって食べた。
僕の育った家庭では滅多に外食することがなかった。親父が社交的でもなく、両親ともに田舎者なのだから彼らの「レジャーのような楽しみ」…いや、「日々の暮らしの中でのちょっとした楽しみ」としても外の店でメシを食べる体験なんてことは本当に少なかった。
それでも「子供の頃はとにかく外で食べるメシの方が美味しいもの」と僕は信じていたので、そんなガキのリクエストにも極稀に応えようとした両親がファミレスに連れて行ってくれることもあった。
外食に慣れない田舎の子供なのだから(幼少期の僕のことだ!)、平たい皿にメシがよそわれているだけで僕は「それを盲目的にとても美味しいもの」だと信じて食べるし、田舎者の父親がフォークの背にメシを乗せて食べるのを「これこそがちゃんとした洋食マナーだ」と教えてくれる姿を頼もしく思っていたりもした。「お父さんは凄いなぁ…」なんてふうに…。
普段の僕の食卓では包丁で切り分けた肉を箸でつまみ、茶碗によそったメシを漬物と一緒に食べる。自宅では殆ど使うこともないナイフをフォークを用いて「昭和の洋食スタイル」で食べる夕食の献立に特別な味の変化などある訳もない…。わざわざ、食べにくい様式でいつもと変わらない味のするメシを食べるだけなのだから。
しかし、昨夜のメシはとりわけ美味しいものを支度したかのような気持ちになった。大したものを食べた訳でもないのにね。
人がメシ…というか食卓というか、その献立に接して感じることは「本当に人それぞれ」である。昨夜の僕の食卓で僕が感じることは「僕だけのこと」なのだが、イイ昭和の日の夜を過ごすことを演出してくれるものだった。