datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

静岡市 清見そばのラーメン

今日は朝から県内西部にあるスタジアムに出掛けていた。

しばらく前から「木々の新緑が眩しいな…」なんて思っていたけど、茶所の牧之原あたりを通過する列車の車窓からは茶畑とともに萌黄色の山々が見えた。茶所である静岡らしい初夏の訪れを感じることの出来るイイ時間だった。

鈍行列車で2時間弱の移動。朝7時過ぎに沼津を発ち9時過ぎにはスタジアムに着き、昼までスタジアムで過ごして沼津に戻る。その旅程の中間地点になる静岡市で戻りの列車を降りて「清見そば」に立ち寄った。

静岡駅の改札を出て5分も歩けば到着するその店はラーメンが人気の店で、僕もラーメン以外のものを頼んだことがない。

この数年、「おっさんになってきたことの分かりやすい食の嗜好変化」として「醤油味のあっさりとしたラーメンの美味しさ」を感じ取れるようになった。

この店に限らず「蕎麦屋だけど日本蕎麦よりも中華蕎麦が人気の店」というのは全国的にも沢山あるのだろう。

今から15年くらい前にも当時の上司に連れられて「そうしたすっきりとしたラーメン」を食べることもあったのだけど、当時30代だった僕はそのラーメンの奥ゆかしさを全く理解できず、随分と物足りない気持ちになっていたことを覚えている。

思い返せば、当時の上司も50代前半だった。50歳くらいになるとギトギトが身上のストロングスタイルの濃いラーメンよりも「おつゆをごくごくと飲めるようなあっさりしたラーメンの魅力」にもセンサーが反応するようになるようだ。

さて、今日も店に着いてから一応メニューを見てからラーメンを頼んだ。端からラーメンを食べるためにこの店に来てるのにね。そして5分もしないうちに供されるラーメンは期待通りの味で美味しかった。

ここ「清見そば」のラーメンは素麺なのかというくらいの細麺でそいつがおつゆと一緒に煮込まれているのではないかと思うほどの熱々のものが出てくる。スープが熱いのは大歓迎なのだけど、麺にはコシなどない。なんなら、病気で養生している時に食べる「消化にいい柔らか煮込み麺」みたいなものが出てくる。

今日もそんな柔らか麺を「これがシコシコとした麺ならばもっと美味いのに…」なんて思いながら、鶏の出汁の効いたおつゆとともに啜り込んだ。

ここで「麺を固茹でで…」と頼む人もいるのか知らん。僕も「固茹で麺ならば数段美味しいはずなのに…」と思っていながら、そうした注文をすることがこの店に対して失礼になるような気がして、デフォルトのノビノビ麺しか食べたことがない。そうした「柔らか麺」を含めたものがこの店のラーメンの魅力だと思っているから…。

僕が着席してからラーメンが出てくるまでの間に、すぐ隣の席に大学生くらいの年齢の女性が一人で入ってきた。僕の娘(長女)と同世代と思しきような女の子だ。

名店ではあるが若い人、それも女の子が一人でやって来ることに驚いた。そして僕の中では「美味しいものに対しての大した行動力」を持っていそうなその女の子に対して「おお、立派な若者だ…。美味いものは単独で食べてこそその店と対峙出来るのですよ。」なんて思いを抱いた。

しかし、「そんなおっさんが抱いた好感は簡単にぶち壊される」ことになる…。

その娘は「かけ蕎麦とラーメン、どっちがオススメですか?」なんて注文をして、店員も「好きな方を頼めばいいんじゃないの?」って返せばいいのに「ラーメンの方が人気ありますね」と返していた。そりゃその通りなのだけど、蕎麦屋としての矜持はないのかよ?…なんて思った。

そして、隣席の女史は届いたラーメンを一心不乱に啜り込むこともなく、店員のおばちゃんにレンゲを所望し、そのレンゲのうえでミニラーメンを作ってちんたらと食べる始末…。加えて言うと、その一連の動作は彼氏なのか友達に送るスマホ作業の傍らに行われるものだから、さらっと食べれば5分くらいで完食するようなラーメンに15分くらいの時間を費やすのではないか?と思うような食べ方だった。

人には人それぞれのスタイルがあることも理解できるが、ただでさえノビノビになった麺を「ながら食い」なんてしてたら、その美味しさなど分かるわけもないだろう…。

彼女がいじっていたスマホが「この店の味わい」を誰かに伝えているものであったのならば、「さっさと食べないことで不味くなったこと」だけは伝えて欲しくないと思った。

そして、その一方で「こいつの食べるラーメンはノビノビになって超不味くなっていますように!お前のようなやつにはここのラーメンの良さが分かってたまるかよ…」と願いながら、僕は店を後にした。