3月からやっているこの展覧会も今月下旬には終わる。同じような感じで去年やっていた「ブラックジャック展」が良かったので見に行きたいと思っていたのだ。
僕が「火の鳥」に初めて接したのは小学生の時だが、当時はその面白さを全く理解出来ずにいた。あらすじとしての話の流れを追うことしかできず、その背景…というよりもテーマとしては本筋となる「生きるということ」を全く読み取ることが出来なかった。
今、思えば「そりゃ、そうだろう」と思うし、作品に込められたメッセージがもっと簡単…というよりテーマなど特に込められていないけど派手なバトルが繰り広げられるだけのジャンプの漫画を喜んでいる方が健全な小学男子だと思う。
「高校生の頃に『火の鳥』を読んで、その深さにハマりました」と言っていた後輩がいた。高校生くらいになると「テーマとなる生と死」についても随分と読み込むことが出来るだろう。後輩の感想は嘘ではないだろうけど、人生経験によってより深い部分の感じ取れるようになることもある。
こと「火の鳥」についてはそういう「ガキや若者には分からん部分」も多く散りばめられているように思うから、若くして「火の鳥について分かったようなことを言ってるヤツ」は好きではない。「はいはい、もっと人生経験積んでから読んでみろよ。もっと面白いはずだから…」と思うのだ。そして、このことを30年くらい前の僕に教えてやりたい…。
さて、写真を自由に撮ることのできるエントランスには各編の名シーンばかりが大型のシートのようなものになって床に貼られている。
写真では分かりづらいが、一コマが数十センチ〜大きければ1メートル近くのサイズで、これが重なるようなデザインでエントランスを埋め尽くしているのだ。
素晴らしいシーンばかりなのでこれを見ている段階で僕の目には涙が溢れた。そして、感動とは全く別物の涙が出そうだったのは「これらのシーンを足蹴にすること」。なぜ、こんな大切ないいシーンを踏んづけて歩かねばならんのだ…。この展覧会の構成スタッフはデザイン性と金儲けのことばかりを考えていて、作品を少しでも大切にしたいとうファンのような気持ちは持っていないのだろう。「金を生む貴重なコンテンツ」として大切にしていることは感じ取れたが…。
大切なシーンを全ての入場客に踏みつけさせておいて、その後の本題のような展示コーナーからは「撮影禁止」。展示されている原画に薄暗い間接照明が当たってテカリで見えづらいから覗き込んでいる人がいたが、そういう人のもとにバイト警備係がやって来て「作品に近寄らないでください」と言ってくる有様だ。
ならば「原画のタッチの繊細さ」が見えやすいように照明を工夫しろよ。明るくすればしっかりと見える!演出でカッコつけたいなら、うじゃうじゃ言うな、バーカ…なんて思ったので、僕もしっかりと近寄ってから作品を鑑賞した。