datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

続 火の鳥展

前回に続いて「火の鳥展」のことを書く。

今回の展覧会は都内に住む長男と一緒に見に行った。…と言っても待ち合わせの約束時間に遅れてきた彼を待ちきれず、僕は30分程度早くに入って「一人感動の涙を流していた」のだ。

演出面での気に入らない点はあるものの、いい展覧会だった。

作品の発表順と物語の時系列をまとめた年譜は「マニアでありそんなことは分かっているけど…」という層(僕のことだ…)にも面白いものだったし、作品をよく知らない人にも分かりやすかったのではないかと思う。

そして各編ごとに大きなあらすじがパネルにまとめられ、結構な量の原画が展示されている。薄暗い部屋の中での原画展示は「作品細部の味」が分かりにくいことに閉口したが、ただの漫画の1シーンとしてツラっと読んでいたコマにすら画としての迫力があった。

そんな状況なのだから、好きなシーンの原画を見ると鳥肌どころか身体が震えるような感動で原画を見ている時間の7割くらいは涙を流していた。

…と、これは僕が「火の鳥」を好きだから起こったことであり、特に好きでもない人には全く面白くない企画なのだろう。僕がアイドルのライブに行っても全く面白くないように…。

さて、遅れて入館した長男と合流して「既に6割方を鑑賞した僕」は経験を積んだ先輩として忠告をした。

「ここにはお前がすでに読んだ作品もあれば、まだのものもある。まだのものについてはあらすじのパネルも原画も見ないほうがいい。」と。

感動の源は各作品への愛や尊敬であることは明白だった。この展覧会を楽しむならば、やはり各作品を読み込んで来てこそ充分に楽しめるのだ。都内に住む長男はその気にならば会期中に再訪することも難しくない。だから、未読のものを読み込んでからまた来たらいい…ということを話した。

そういう理由があって展示物の4割くらいを見ずに出てきた長男と街を歩きながらそれぞれの感想を話した。

やはり展覧会は展覧会であり、モノホンの魅力は漫画そのものだ。漫画をしっかりと読み込むことが「火の鳥」という作品の魅力を受け止めることであり、そこをより楽しくさせる装飾品が「展示されていたパネルや原画」なのだ…僕たち親子の感想はだいたいそんなところに落ち着いた。

映画や音楽にしても、その作品自体を完コピできるほど聴きまくったり観まくったりせずに、モノホンには一度触れただけ…。あとはウェブに落ちている解説やらライナーノーツあるいは素人の書いた感想ブログなどを沢山見て、そこの文章を噛み砕いたものを「自分の感想」だと勘違いする人が結構いる。中にはモノホン作品にはほぼ触れてもいないのに「そうしたウェブ情報」でその作品のことを知った気になるような馬鹿もいる。

人の解説やら作品背景を知ることも知識を増やすという点では面白いが、その作品自体に触れまくることこそが作品理解であり鑑賞なのだと思う。

そんなことを親子で語らった翌日(今日のことだ)、僕はさっそくこのところ読んでいなかった「黎明編」を読んでいる。

 

「踏み絵のような地面展示物」より。僕の好きな火の鳥登場人物のコムとロビタ。…つか、全作品の全登場人物が愛おしい。