昨夜は「どうにも納得のいかない厚揚のようなもの」を食べ、その食品に対する悪口ような思いの丈(…というか純度の高い悪口)をブログに記したのだけど、今夜はその続報である。
今夜の僕は「昨夜のようなおかしなもの」は食べずに過ごしたかったのだけど、己の賤しさ故に「買ってきてしまった不本意な食材」への責任を取るような形で昨夜とだいたい同じようなものを食べて過ごしている。
不味いもの故に、昨夜のうちに食べ切ることもなく「残していた鍋物」を食べているだけなのだけど…。
そもそも納得のいかない食材は口にしない…なんて風な食通のような生活を送ってみたいのだけど、そんな意識を超えて「手に入れたものは責任を持って食べないといかん」というセコさ全開の気持ちでいるから、納得出来ようが出来まいが我が家にある食物はちゃんと食べようという思い…というか行動になるのだ。
さて、今夜は「そんな納得のいかない食材を再び食べる敗戦処理」のような食事だった。特に楽しみもない…。悲しいことだ…。
そんな状況の今夜は「平素からよく遊んでいる舎弟」と電話で話をした。
電話先の舎弟は「ブログ見ましたよ!アレに出会いましたか!でも、アレは我が家の高齢の父と母には好評で我が家ではよく買います。トースターで炙って食べると美味い…ってウチのジジイとババアは言っていますよ…」とのことだった。ここでのアレとは「昨日のブログに書いた訳のわからん厚揚豆腐風のアレ」のことである。
これには愕然とした…。
「厚揚にモチモチ感が重視される未来」なんてものは意外に遠くないのかも知れない…。僕はそんな未来は絶対に否定するのだが、そんな僕の思いとは関係なく、既に「そんなモチモチ厚揚も市民権を得ていた」ようだった。
舎弟の家庭の状況に目をやってみれば「美味い豆腐は高価だからそれらを食べたこともない若い層」が安価な食材に惹かれた訳ではないのに、お金持ちの高齢夫婦が日々の食事のローテーションの一つに「アレ」を喜んで加えているとのことだった。
僕が昨夜懸念した「未来への新食材の羅針盤」みたいな不安は既に市中で受け入れられていて、それを好む人たちがいること…そして、それは意外に身近な舎弟の家族だったということに本当に驚いた。
この事実に驚きながら、こうした食の嗜好変化は「もうとっくに始まっていて、僕が旧態然の古い奴なだけなのではないか…」と不安に思った。
そんなことを舎弟と話しながら、「実はもう一パック、我が家にある…」ということを彼に打ち明けた…。
…そうなのだ…。
意地汚い僕は「おおっ、この厚揚メチャ安いじゃん!」なんていう衝動に駆られてしまい、昨夜は「この得体の練習をやつ」を二つも買っていたのだ…。
2パック目には手が伸びずにいる。しかし、買ってしまったものは「得体の知れんもの」であってもちゃんと食べたいとも思う。自分の賤しさと浅はかさが招いた現状なのだけど、どうにかしないといかん…とも思いつつ、どうにも許したくない食物を口にしたくない。
そんなことを考えながら、今夜も酒を飲んでいる。