今年初の豆御飯を炊いた。
今朝は豆御飯と青柴漬を食べてから仕事に出掛ける…という充実の朝食だった。
この間の日曜日に静岡に出掛けて農協で野菜を買ってきた。政府放出の備蓄米の売り方や急遽差し替えられた農水大臣の過去の取り組みなどで「なにかと騒がしい農協」であるが、僕が新鮮で安価な野菜を入手することにおいては全く問題のない…と言うか非の打ち所がない「良質な野菜の供給源」だ。
そんな農協の直売所で胡瓜に空豆にトマトという僕の好物の野菜を買ってきたのだが、その中にはグリーンピースもあった。
一月前くらいから「今年もいよいよ豆御飯の季節が来た!」と気もそぞろになっていたのだが、美味そうで安価なグリーンピースにどうにも出会えず「今年は豆御飯を食べない春になるのかも…」なんて思い始めていたのだった。
先日の鳥貝といい、今年は「良質な食材」に出会わない…と言うより「出会えない」ことにより、毎年楽しみにしている好物を諦める気持ちになることが多いのだが、これも「沼津の食材事情の乏しさ」が招いていることのように思えてならない…。僕の生活範囲の流通業者はどうなっているのだ!奮起を促したい…。
さて、念願の豆御飯であるが、数日前に「録画していた『365日の献立日記』を見ていたら、ちょうど豆御飯をやっていた。
「春の味の青豆御飯。ハシリの食材は高いばかりで美味しくもない。旬の盛りになったものは安くて美味しい…」沢村貞子さんのエッセイからの一文を引用して、僕も日々の生活で重んじていることが伝えられる。
「グリーンピース」ではなく「青豆」!直訳日本語のように思うが、もともとグリーンピースではなく「青豆」と日本人は呼んでいたのだろうね。その呼び方を新鮮&しっくりくるように感じたので、僕もこれからは「グリーンピース」という呼び方を改めたい。和食としての豆御飯の時は…。
さて、この番組では「そうした食材の呼び方」だけでなく、やけにカッコよくて高価な調理器具やら食器が用いられるのが「生活感から遠ざかる過剰な演出」のようにも思うのだけど、美味しいものを食べるにはその器も大切なので「これを過剰だと思ううちは僕の生活用具がみすぼらしいだけなのだ…」と思うようにしている。しかし、この番組はイイ。
そして、番組の中で「青豆は御飯が沸騰してから加えるとシワが出ないのです…」なんて言っていた。
僕も最初から豆を一緒に炊き込まずに途中で加えるのだけど、それは最初から豆を炊くと豆に火が通り過ぎてしまい「青豆の香りやらみずみずしさ」が損なわれるように思うからであり、シワのことは気にしていなかった。勉強になるなあ…なんて思いながら、米がクツクツと音を立ててきた文化鍋に青豆を加えて炊き上げた。
…が、どういうことだ!?僕の豆御飯の豆は「いつもと変わらずシワシワのもの」だった。
おい、貞子さん…いや、ナレーターの鈴木保奈美!…いや、鈴木保奈美は原稿を読んでいるだけだから監修の先生よ!俺の豆は例年のものと変わることなく、シワシワのままじゃないかよ!
…そんなモンスタークレーマーのようなことを少し思ったりもしたが、もとより僕は「豆のシワシワ具合」なんて気にしていなかったので、振り上げようとした拳を振り上げる間もなく、炊き上がった御飯をさっさと茶碗によそって「充実した初夏の朝食」を楽しんだ。
美味しい豆御飯だったが「一度抱いた欲」は厄介だ。僕は次こそはシワシワにならずにふかふか、なんならピチピチの青豆の御飯を炊きたいと思っている。これは来年の課題かな…。