ちょっと前のことだが「チキン弁当」なるものを初めて食べた。
今から30年くらい前、大学生いや、高校生だったかも知れないがその頃に読んだ泉麻人のエッセイの中で絶賛されていたのを覚えている。そしてここ最近も誰だったか覚えていないがこの弁当のことを褒めているのをネットで見かけた。
そうした「誰かが褒めていたこと」による期待感で買ってみたのではない。その味に期待はしていないのだけど「経験として食べておきたい」との気持ちで買ってみたのだ。
その味は「美味いはずがない」という期待を全く裏切ることのない味で、工業製品的なボソボソとした化学感全開の味わいだった。
スモークチーズが添えられていたのどけど、これはどういう意味合いなのだろう?和風の弁当の佃煮とか漬物のようなものだろうか?スモークチーズを嫌いな訳ではないが、これを弁当に入れる必要などあるか!?と思う謎の取り合わせだった。
まあ、結果を簡潔に言うと「とりあえず不味くて、これに金を払うのが惜しい弁当」なのだけど、この不味さを好きな人が沢山いるのも理解出来た。
縮れた油揚げ麺と化学調味料味のインスタントラーメンは否定される要素に満ちた食品だけど、多くのファンがいる。添加物で練り固められたようなソーセージを大好きな人もいる。この両者はファンも多い分、それ以上にこれらを嫌う人も多いのだけど…。
食物に限らず、「正統派のちゃんとした魅力を持っておらず、どうしようもないダメなものなのだけど好きになる」というものは意外に多い。
こと「チキン弁当」についてはロングセラー商品なので、買う人の「懐かしさをくすぐる」という強烈な惹きつけ技を持っているのだろう。誕生60周年の深みというか…って、パッケージに60ってシールが貼られていたのを見ただが…。「チキン弁当原体験」のない僕には何も響かなかったのだけど…。
逆に僕が懐かしさを感じる弁当と言えば「サラヤ」である。
僕が幼稚園児〜小学生だった頃はまだコンビニがなかった。テレビのコマーシャルで「♪セッブンイレブン、いいきぶ〜ん」ってやっているのを一緒に歌ったりしていたのを覚えているから、世の中にはコンビニも登場し始めていた。
しかし、僕が暮らす田舎町にコンビニが出店したのは中学生〜高校生にかけての時期であり、小学生の頃は弁当やおむすびが売られているのを見かける機会も少なかった。
そんな昭和後期、国道沿いに簡易プレハブみたいなカラフルな小屋を設置して、そこでおにぎり弁当を売っていたのが「サラヤ」である。
僕の生まれ育った山口県の田舎のロードサイドには何軒か見かける「オレンジ色の弁当小屋」だけど、全国的には全くのマイナーチェーンのはずだ。だが、僕の「外で売られている弁当の原体験」はここにあるのだ。
そもそも外食をせずに「お腹が空いたらウチに帰って御飯を食べよう」というケチなことばかりいう家庭で育ったので、ここの弁当を度々食べたことはない。だが、どういう時だったのかも思い出せないが、三角のおむすびの入った弁当を何度か食べた記憶はある。
鮭と昆布と梅、オーソドックスな具材でシナシナとした海苔に巻かれたおむすび。今思うと大したこともない味だったのだろうけど、随分と美味しいものを食べている気になっていたことを思い出す。
昭和が終盤に差し掛かること、気がつくと僕の住む町にも「ホカ弁」と呼ばれるスタイルの弁当屋が幾つか出来て、コンビニもチラチラと姿を現すようになったと。その頃には「サラヤ」もなくなっていたのではないかと思う。それまでも接触頻度は低かったので、知らないうちに姿を消していた…という感じだ。
そんなサラヤの弁当が復刻販売されるらしい。これを食べると懐かしくて涙が出るのではないかと思うが、中国地方限定販売のようだ。そりゃそうか…。東日本で売られても誰も懐かしくもなんともないもんね…。