堂々と言うような話ではないのだけど、僕は滅多に映画を観ない。
劇場でやっている新作に興味をあまり持てなくて、それよりも自宅でネット動画で過去の名作を観たほうが有意義であるように思うことが多いからだ。
自宅でDVDやアマプラで観るものは映画だとカウントしない。それは「ビデオ鑑賞」であり絶対に「映画鑑賞ではない」ように思う。プロジェクターとサウンドシステムを整えて自宅で観るのは「映画鑑賞と称してもよい」と思うが…。
そんな「映画との接触頻度の低い僕」だが、昨日は久しぶりに映画館に出掛けた。「八甲田山」を観るためである。
この作品はDVDで持っていて自宅では何度か観たこと(ビデオ鑑賞)はあるのだが、ウチのテレビで観たところで特に迫力があるものでもないし、そもそものソフトからして画像も音声も当時の技術のものでは「襲い掛かる雪の中で誰が何を喋って、誰が死んだのか?」すら分からないような有様…。
相当な興行成績をあげた作品であるが、鮮明な映像と明確過ぎる程の音声技術で仕上げられた映像作品に慣れてしまった僕にとっては「まあ、過去の遺物…。見辛くてとにかく残念…」みたいな感は拭えずにいた。
あの技術力の作品を大喜びで観ること、そして公開当時の黒澤名作にしても「映像や音声の鮮明さ」では今に通用しないところが多いと思うのだけど…。
しかし、そんな作品の技術的な残念さ(これは技術的に優れた作品に慣れてしまった今現在の僕の贅沢病みたいなものだけど…)を別として、何だか惹かれるところが多い映画だったので「いつか劇場で観たい」と思っていた。
各作品を2週間くらいの上映期間で毎日午前中にやる「午前10時の名画座」みたいな企画は素晴らしい。過去にもビデオでしか観たことのなかった「座頭市物語」を観たこともあったが、その企画で「八甲田山」をやると知り、随分前から「これは観に行かねばならん…」と思っていたのだった。
あらためて劇場で観たこの作品の感想は「面白いもの」だった。何度かビデオで観て話の筋は分かっているし、鮮明な映像と音声で何を楽しみたいのか分かっているのだから…。僕が意識をズームさせるべきところも「待ち受けているように集中して観る」のだから突然の結果か…。
あと、数年前の夏に青森に旅行に行っていたことも大きく影響したのではないかと思う。夏の旅行だったので「映画の主題である八甲田山の冬の寒さや雪の過酷さ」は体験する訳もないのだが、そんな冬の厳しさのある土地だからこそ夏の祭りの喜びも大きいのだろう…ということは、その場で涙が出るくらいに感動的に感じた。
映画の中に散りばめられた「そうした暖かな時期の喜び」は「ベタでクサい演出のようにも思えた」が、それでも青森という土地を再訪したいと感じさせられるものだった。