datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

24年初夏の山椒

この数日、山菜っぽいものを食べた。

3月の下旬からポツリポツリと、そして4月の半ばになると勢いよくその葉を茂られてきた鉢植えの山椒であるが、ゴールデンウィークに筍と一緒に食べたっきり特にその葉を摘むこともなかった。

本当は今シーズンのうちにもう一度か二度、筍を楽しみたかったのだが、普段の僕の生活範囲には良質な筍が売られていない。ゴールデンウィークに食べたものは質も価格も素晴しいものだったが、車で出掛ける必要のある隣町で売られていたのだった。

元気に茂る山椒は近くに寄って、その葉が少し揺れるだけでも強い香りが漂う。先日、アゲハ蝶の幼虫がやって来ていたのを見つけてから僕はパトロールを強化している。その為、山椒の香りを嗅ぐ機会も増えたのだ。

そんな山椒の葉を摘み取って木の芽味噌にすることにした。ベランダの鉢植え山椒は日々元気に枝葉を伸ばしているので、このくらいの量の葉っぱを摘んだところで何の問題もない。蝶の幼虫なら一日か二日で食べてしまうような量だし、何より奴らに食われることを思えば、僕がちゃんと摘み取って食べるべきなのだ。

摘み取った山椒の葉を擦り潰して白味噌と混ぜる。味噌を伸ばすために煮切の酒も加えた。山椒を擦っている間に不思議に感じたことがある。

幼虫パトロールの際に葉の裏側を見ようと枝を少し持ち上げただけでも山椒の葉は芳香を放つ。その葉を摘もうと触れただけの手にも強い山椒の香りがつく。それほどの香りを放つ葉っぱなのだから、これをすり鉢です擦れば部屋中に山椒の香りが立ち込めるだろう。

そんなふうに思い、山椒の香りで満たされた部屋ってどんな感じだよ!?アゲハの幼虫になったような気になるかも…など想像していたのだが、実際は全くそんなことはなかった。

そして、出来上がった木の芽味噌は厚揚と一緒に食べてみたのだが、特別に強い山椒の香りを感じるものでもなかった。ベランダではあれだけ強い香りがするのに、擦り潰した途端に大人しくなるのは何故なのだ!?山椒の香りがしないわけではないが、何だか「青臭い葉っぱを擦り潰したものが混ぜられた味噌」という印象が強かった。

別の日になるが、その日は良質な鯛の粗を手に入れたので鯛のおつゆを食べた。ここにも遠慮なく山椒の葉を散らして食べたのだが、この香りは強かった。鼻腔を刺激する程の鮮やかな香りが鯛の旨味にアクセントを加えてくれているように感じた。

木の芽味噌を作っている時、僕はイタリア風のバジルのペーストを作った時のことを思い出していた。バジルペーストは嫌いではないが、その香りも味もインパクトが強いので一度食べると次は当分いいや…と思ってしまう。

あれはやはり「その食材の持つクセの強さ」によるものなのだろう。ならばバジルよりももっと強い香りがする山椒を擦り潰した味噌なんて、一度で充分……ってなるのかも知れないな。そんなことを考えながら山椒の葉を擦り潰していたが、出来上がったものにはそんな強いクセなどなかった。

バジルと山椒の違い…。それはイタリア料理と和食の差なのだろうか?また考えてみたい。