もう5月も終わる。まだ一日あるけど…。
本当についこの間ゴールデンウィークだったと思うのに、時間の経過速度は年々早くなっているように思う。
春先からバンドに声をかけられた事により練習に出掛けることも増えたし、バンド以外にも休日の余暇のようなものそれなりに充実しているようにも見えるのだが、どうにも満足感が薄い5月だったようにも思う。
仕事は忙しく動いていた。いい結果をもたらしたものもあれば、まだ努力が必要なものもある。こうした不安が「もっとこうしておけば良かった」という反省…というか後悔に繋がって「5月の薄い満足感」の源になっているのではないかとも思う。
そんな仕事の成果への不安如きで一ヶ月の生活への満足感が左右されるというのも馬鹿らしい話だが、そう感じてしまうものは仕方ない…。
さて、数日前、独活の葉を天婦羅にして食べた。
ウチからは離れた田舎町の道の駅に寄ったときに安くに売られていた独活の葉だ。そこにはタラの芽も売られていたが大した品でもないのに大した値段がつけられていたので買わなかった。
写真のもは僕が買ったものではない。「大した値段の大した事ない品」だ。僕はこの半額くらいで青々とした独活の葉を買ったのだ。
それは5月の半ば過ぎた頃のことで、ちょうど来客の予定もあったのでその際に天婦羅にしてすぐに食べようと思っていたのだが、この夜の会食は天婦羅に辿り着く前にお開きとなってしまった。
その後、一人ではなかなか天婦羅を揚げる気にもならず、とは言え独活の葉を捨てるのも惜しいし、本当に葉っぱばかりのところだったので「天婦羅にするのが一番美味しいだろう」と思っていると結構な日が過ぎた。
既にその香りなどは失われているが、捨てるよりマシだ。よーし!…と意気込んで今週の頭に天婦羅を揚げたのだった。
山菜の持つ苦味と青臭さ…というか香気は素晴しい。しかし、山菜を食べた後で「栽培されて品種改良もされてきた野菜」を食べるとその柔らかさや甘みにぶっ飛びそうになる。そうした野菜引き立て役ではないのか…とも思うくらい、山菜の食材としての魅力マトリクスは貧相なものに感じるのだが、それでも美味しい。
いや、香味と苦味の2点突破でマトリクスなど関係のない魅力があるのかも知れない。
今年もタラの芽と独活の味を楽しむことが出来た。コシアブラは味わうこともなく夏…というか梅雨を迎えるのだろう。
この5月を振り返ると「風薫る皐月」という感覚は殆ど持たずに過ごした。そんな5月らしい心地良さを感じない年なのだから、山菜を楽しみ切らない年になるのも仕方ないのだ…と捉えることにする。