datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

「新生活」

新しい町に住んで新しい生活を送る…。そんなことは、とんと体験しなくなった。

一昨年、沼津に越してきた時に僕は「久しぶりによく知らない町」での生活を始めた。この町のどの店に行けばお得に買い物が出来るか?そしてそんな店は東西南北どちらに行けばあるのかも知らない町だった…なんて言ったところで「沼津市の西には富士市があるし、一駅電車に乗れば新幹線が停まる三島がある」というような基本的なことは分かりきっていた。

職場の転勤による引っ越しなのだから、仕事では新たな業務に取り組むことになるが、「何をすればいいのか?」分からないなんてことはない。慣れない初めてのことも多いが「会社員として何をすればいいのか」なんてことは分かりきっていた。

2年前に始めた「新生活」は確かに新生活ではあるのだけど「本当に新たなこと」にぶち当たることなど殆どないし、大きな点で言えば「ちょっとだけ生活環境が変わっただけ」のものだった。

僕にとっての新生活を思い返してみると、大学進学の時に大阪に住み始めた時が一番の「新生活」だったのではないだろうか?…と思う。

東西南北どちらに行っても人の多い「街」があり、慣れない関西弁の中でセコさ全開のスタンスで接してくる関西人とか親のいない一人暮らしの下宿…なんてものは、当時の僕にとっては毎日が新鮮過ぎた。

…とは言え、関西弁にしても「本当にこの人は何を喋っているのか分からん…」なんてことはなかったし、本人が強い意志を持って周囲を上回るセコさを出せば周囲の人間とも対峙出来ることはすぐに分かった。

なにより僕自身が熱望した一人暮らしである。ケチをつけようと思えば幾らでもケチをつけることの出来る周辺環境であったが、とにかく楽しく過ごしていた。

その後、東京や名古屋という日本を代表する都会にも住んだが、成長というか加齢により僕自身の適応力とか厚かましさも増長してくるのだから、僕の中での「新生活」というものも年を取るごとに新鮮さを感じ取れないものになっていった。まあ、僕の生活環境もたまたま恵まれていたのだろうけど…。

 

さて、僕の長女のことだが、彼女はこの春先に豪州へと旅立った。僅かの路銀は工面してやったのだが、基本的には「自分で働き、豪州生活で何かを得てくるため」の旅である。

海外生活はおろか、海外旅行すら殆ど経験のない僕が「彼女の試み」のことを考えていても心配になることが増えていくばかりだったから、敢えて細かなことは考えないことにした。僕のような人間がそれを心配したところで「大したアドバイスも出来ず、彼女のブレーキにしかならない」と思ったからだ。

そんな娘の豪州生活も3ヶ月あまりが経つが、娘は意外に弱っているらしい。これは本人から聞いた訳でもなく、先日会った長男からの話を元に僕が感じ取っているだけのことだ。

知らない町での新生活、それも日本語を使う人たちではなく、そんな中で仕事を探して自炊して…なんて生活は大変なことも多いだろう。…って、大阪での新生活を体験した程度の僕が語れることでもないのだけど…。

 

…なんてことを考えていたら、昔、娘たちとよく見たアニメのことを思い出した。

そりゃ、本当に勝手の分からん町で新生活を送っていれば、気分が塞ぐこともあるだろうし、それを紛らわせてくれる友達もいなければ、愚痴を食らわす黒い猫とかもいないだろう…。

そして、そんな環境で体調を崩そうものならば、その閉塞感はものすごい勢いで心身を蝕むのだろう…。

そうした逆境が続けば、まあ本当に生活をすることにウンザリするだろうけど、これは人は誰しも体験することだ、程度の大小はあるのだけど…。

そんな逆境を嘆きたくなった時は意気揚々と飛び立った時の気持ちを務めて思い出して欲しい。めげずに頑張っていれば、良き友が現れることもあるだろうし、そもそも「そうした閉塞感すら豪州旅での収穫」なのだと思う。

…って、超ドメスティックな僕が言えることでもないように思うが、なかなか「モノホンの新生活」に踏み出せないおっさんとしては、娘の奮闘を応援しつつ、「苦悩を含めたそんな生活を送れること」を本当に羨ましく思っている。