昨日から降っていた雨は今朝には上がり、今日の最高気温は昨日よりも10度くらい高かったそうだ。
今年の5月は「本当に初夏らしい気持ちのイイ気候の日」というのがなかったように思う。これは統計によるものでもなく「僕がそう感じただけ」のことなのだが、休日になると雨が降っていることが多く、気持ちのイイ5月の風を受けながら「この気候がずっと続けばいいのに…」という体験はなかった。
例年感じる「5月の風の気持ちよさ」があってこそ萌黄色の木々も映える。商談に出掛けた先でも、取っ掛かりの時候の挨拶としてそんなことばかり喋っているのだが、今年の5月は「気候による四季の変化の素晴らしさ」は本当に感じられなかった。
そんな生活を送っていると、本当に雨が降る日が多くなってきていて「そのうちにそのまま梅雨に入る」ような状況だ。季節が移り変わっていき、夏が訪れるのも楽しみではあるが、夏を迎えて「作った食物が傷むのも早くなる」のは嫌なことだ。
さて、今夜は「そんな5月の気候への悪口」を考えながら、カレーを食べている。
一昨日の夜、麦に米も加えた粥を炊いて食べていたのだが、まず先に麦を炊く際に袋からザザッと沢山の麦が鍋に入ってしまった。「計量カップ使わないの?」と疑問を抱く方もいるかも知れないが、粥を炊く時には特に分量は量らない。
これは粥に限らず「あらゆる料理を目測とか感覚で、それにイイ塩梅をピタリと揃えられるようになりたい」というエゴによるものだ。本当は飯を炊く時の水加減も何の秤も使わずにピタリとやれるようになりたいのだけど、「炊きたての御飯の美味しさへの敬意」があるから炊飯の時にはカップで量を量る。
そういうと「粥を軽んじているのでは…」とも思うのだが、そのとおりに僕は粥をナメているのだろう…。
さて、一昨日炊いた粥もそろそろヤバくなってきた。朝の出勤前にも火を入れて帰宅してもまずは火を入れて、その粥が傷まぬようにケアをしていたが、もう限界のように思えた。まあ、食べきれないような量の粥を炊いた僕が悪いのだけど…。
そんな訳で今夜はこの粥をカレー味にして食べることにした。白粥も悪くないが、今夜は取り立ててそれを引き立てるオカズになるような食材もなかった。
ならば「カレー味にすればなんだかしっかりした料理を食べてる気になるし…」という、粥にもカレーにも失礼に当たるような「困った時のカレーでの誤魔化し料理」としてカレー粥を食べ、酒を飲む夜なのだ。
鍋に残った粥にインスタント工業製品のカレーのルーを加え、その味付けだけでは「カレーという食品に対して失礼に当たる」だろうからスパイスを加えた。コリアンダーと複合パウダーのガラムマサラ、そして一味唐辛子。カレーというものはそれなりの香りを備えた食物であるべきなのだ。
そして、そうした調味料だけでの調理のものを食卓に饗するのも「僕に対して失礼に当たる」だろうから、冷蔵庫に残っていた豚コマ肉と葱を刻んで加えた。僕の食卓というものはそれなりに栄養バランスを考慮された料理が並ぶべきなのだ。
そして、これらの仕上げとして、何らかの僕らしい工夫をしないのも「敗戦処理のような今夜の料理に対して失礼に当たる」だろうから、結構前に摘み取って乾燥加工していたカレーリーフと飲み残してペットボトルに移しておいた赤ワインを加えた。これにより「余り物の処理感」は数倍増してしまったが、日々の食卓というのは食材の在庫処理を上手くこなすうえに成り立つべきなのだ。
こうして作ったカレー味の粥は美味しかった。各食材にはそれを買ってきた時の値段はあるが、僕の中ではタダのような料理。そんなことを言うとイイ味わいを出してくれている食材に申し訳ないとも思うが、たとえザコのような食材やら調味料に対しても感謝の気持は忘れない。
…まあ、下宿学生のような夕食だから「これを料理と称する」こともおこがましいのだけど、そんなメシを僕は今夜も喜んで食べている。