datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

中華三昧

今から40年くらい前だろうか?明星食品から「中華三昧」という高級インスタントラーメンが発売されていた。その商品名はテレビCMの影響によって今でも覚えている。テレビの刷り込み効果は凄い…。

僕の育ったウチには買い置きのインスタントラーメンがあったが、ラーメンに限らず食品全般の選択は母親によってなされるものであり、僕がテレビを見て食べたいと思ったものが希望通りに自宅に存在した記憶などほぼ無い。

インスタントラーメンで言えば「藤岡琢也氏が登場するサッポロ一番」の塩ラーメンに憧れていたが、僕がそいつに接したのは大学生になって一人暮らしをするようになってからだった。

まあ、子供の頃の食物なんて、親の用意するものを食べるばかりだから、テレビCMで憧れたものを実際に口に入る機会は全国的に見ても少ないのかも知れない。

さて、今日はインスタントラーメンの話をするのではない。一昨日、金曜日の食事のことを記す。

金曜日の午前中は富士市に出掛けていて、商談を終えて沼津に戻る途中でラーメン屋に寄った。

町外れにあるラーメン屋なのだが、駐車スペースは4台分。僕が着いた時には満車でそのうち空かないかな…と何度か店の前を通ってみたが空きが出たらすかさず他の車が入るようでずっと満車の状態だった。

田舎の小さな店ではよくあることだ。田舎だからこそ付近に別の駐車場もない。だからと言ってこのラーメン屋が追加の駐車場を借りようものなら、無駄な経費にもなるのだろう。きっと、昼時のピークを外したら店はガラガラなのだろうから…。

何度か店の前を行来したが結局、駐車場は空かないので諦めて帰ろうとしていたら、店から300メートルくらい離れたところに公民館を見つけた。この駐車場に車を停めて少し歩いてラーメンを食べたのだった。

本当にオーソドックスな醤油ラーメン。スープの奥床しさとキレ、そして麺のコシも申し分ない。美味しいラーメンだった。

僕もすっかりとおっさんになったのだ。経験として「ギトギトと濃いスープのラーメン」の美味しさは理解しているし、若い頃はすっきりとした醤油ラーメンには目もくれなかったのだが、数年前から醤油味のシンプルなラーメンを求めるようになった。

…って、この文章を打っていると高校生の末娘からメッセージが届いた。何でも今日(6/22に)17歳の誕生日を迎えた末娘は夕方に仲の良い友達と2人で「初めての家系ラーメン」を食べたそうだ。

写真は末娘からのもの。

「なぜお前たちはそうまでしてこのラーメンを食べたいのか?」今の僕はそんなふうに思うくらい、沼津にもあるチェーン店のこのラーメン屋には長い行列が出来ているのを見かける。

これを初めて食した末娘は「スープが御飯にあっていて革新的なラーメンだった」そうだ。僕も25年くらい前に初めて家系ラーメンを食べた時は同じようなことを言っていて「(麺)硬め、(スープ)濃いめ、(脂)多め」という今ならウンザリしそうな注文をして、大喜びで家系ラーメンを食べていたものだ。

さて、そんな家系とは全く違う正統派の醤油ラーメンを昼食に食べた日の夜、僕は酢豚を食べた。この記事のタイトルを「中華三昧」としておいて、果たして醤油ラーメンを中華と呼べるのか今更ながら疑問に思っているのだけど、醤油ラーメンを和食というかというとそれも違うと思うので「中華三昧な一日」を過ごしたと捉えることにする…。

夕食に食べた酢豚はなにもわざわざ夕食用に作ったものではない。週の頭に自宅で客を迎える宴会を開いていてその時の余り物だ。僕一人のために作る料理としては酢豚はなかなかの大技だと思う。いろいろな手間がかかる…。

料理を作る時に「食べきれないほど多くのものを作ってしまう」というのは僕の悪癖なのだが、これをポジティブに言い訳するなら「数日分のちゃんとした、メシを作る」ということでもある。

この日はピーマンと新玉葱を足してパリッとした野菜が美味しい再生料理として酢豚を食べた。

日々の食事については極力ちゃんとしたものを作ってしっかりとその美味しさを感じながら過ごしたいと考えている。

しかし、僕一人の食事にそこまでのコストや手間をかけるものか?と思ったり、そうした作業もせずに(僕自身に)楽をさせてやりたい…というような自分を可愛がりたいのか甘やかしたいのか分からないような葛藤の中で日々の食事を楽しんでいる。

この日の酢豚も美味しいものだった。

面倒臭く思うこともあるが、やはり食い意地の張った僕の機嫌を取れるのは僕自身なのだ。こうしたことを考えると「来客の際に料理を作りすぎること」も悪くはないのだろうな…と自分自身を甘やかすようなことを考えてしまうものだ。