datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

暑気払い

昨日は夏らしさを楽しもうと朝から河川敷に出掛けて、寝そべって陽の光を浴びながら文庫本を読んでいた。

何年も前に買ってその時には読んだのだけど、もう内容の殆どを忘れたようなものが沢山ある。僕の読書量は年々加速度的に落ちていて、どうでもいいネット記事とか動画を見るようになっているが、この数年で随分とバカになってしまったように感じる。いや、実際にバカになっている。

ネットで得られる情報というのはとにかく手取り早くて何かを知ったような気になれるが、薄く軽く浅く、とにかく大した情報でもなければ知識や教養に繋がるものなど本当に少ない。時間だけはしっかりと潰してしまうが感じ取るものや得るものは本当に少ない。書籍のしっかり構成され推敲された文章とはやはり格が違うのだ。

…と言っても、この10年くらいで雑誌の質も本当に落ちた。書籍も含めて日本の総バカ化が進んでいるように思う。

20年くらいまでの雑誌は企画力、取材力、構成力あらゆる点で「その道のプロ」がそれなりの矜持で紙面を作っていたもののはずなのに、今ではネットからのパクり情報か?というくらい浅いものが多い。音楽評にしても壮年向けの生活情報にしても下衆なエロ記事にしても…。モノホンの音楽オタクや助平ライターは絶滅したのか?と心配になるほどだ。

…って、書籍を買う人も読む人も減るから経済活動としての本作りも文化構築としての本作りも廃れていくのだろうね。そこには本を読まなくなった僕も「無意識のうちに加担」しているので、考えてみると悲しいことなのだった…。

午後には帰宅して、掃除やら買物に出掛けて、夕方前には冷たいものを飲むことにした。

河川敷では太田和彦の本を読んでいた。氏が京都で何を飲んだか…というやつ。その文中のハイボールが美味しそうだった。

普段から僕は安ウイスキーソーダで割って飲むことが多いが、それは「ウイスキーソーダ割り」であって「ハイボール」とは呼ばないようにも思う。

とにかく昨日は「バーで出てくるようなやつ」をごくごくと飲みたかったのでレモンも買ってきて薄切りの皮を加えたものを16時くらいからいただいた。背の高いグラスも久しぶりに出してきた。明るいうちからの酒は美味い。真夜中の酒も美味しいけど…。まあ、いつでも最初の一杯は堪らなく美味いものだ。

昨日の昼間はカレーリーフのことを考えていて、夏らしいカレーを作るか!カレーを肴にしてバー仕様のハイボールをやるのもよかろう…なんて考えていた。そんな訳で夕食の材料を買いに出掛けた際にレモンの他に鶏の胸肉も買うことにした。

これらを買って帰ればいいだけだなのだが、朝から太田和彦の文章を読んでいたせいで、鱧の炙りとかきずしのようなものも食べたくなった。「太田氏が6月の末に京都に1週間連泊して日々出掛けた酒場のことを書く」という内容だったので、そこに登場する献立も「まさに今の時期食べたくなるもの」だったのだ。

とは言え、僕が出掛けるスーパー2軒には鱧や刺身に使える鯖など置いてある訳もなく、仕方がないので鯵を買って帰った。沼津港で揚げられたもので一尾120円くらい。

程よく3杯くらいのハイボールを飲んだところで夕食の支度に取り掛かる。鯵を3枚に下ろしてベランダから採ってきたシソと針生姜と混ぜてよく冷やす。そんな作業をしていたら冷蔵庫の糠漬けも随分な古漬けになっていることを思い出した。

 

若い者が夏の昼下がり集まっていた。酒は何とかなるが肴は金が無くて算段が出来ない。
 「安くって数があって誰の口にも合って、腹にたまんなくって、見てくれが良くって、しかも衛生に好いと言うのは無いか」、「それは刺身だね。暖かいときに良く、寒いときにもイイ。ご飯にも良いし、酒の肴にもイイ」、「それは銭のある奴の台詞だ」、「私は銭が無くても食う」。
 「俺はクロモジを200ばかり買うね。それをくわえていると、ハタから見ても体裁がイイ。歯の掃除も出来て衛生的」。そんな物肴にならないと叱られる。「私は違う。ヌカズケの樽をかき回すと、底の方に古漬けが隠れているもんだ。それを細かく刻んで水にくぐらせると、覚弥(カクヤ)の香香と言ってツマミになる」。

 

イキ過ぎた胡瓜の古漬けを細く切り、生姜を混ぜて摺り胡麻と醤油で味付けする。「かくやのこうこ」は落語で聞くと実に乙な酒の肴のように聞こえるし、金のない長屋の連中がどうやって美味い酒の肴を支度するか?という生活の知恵が見えるような一品だ。

しかし、実態は単なる古漬けなので特に美味いものでもない。古くなる前にほどよいところで食べる糠漬けの方が何倍も美味しい。食物を勿体なくしないための再生料理の域を超えないものだが、落語の時代にはそれが突然のことだったたのだろう。

酸っぱい覚弥漬けを食べていると、3枚に下ろした鯵の骨もどうにかせねばならぬことに気づいたので、こいつは骨煎餅にした。

「中骨でないもの」はへぎとった腹骨のところとか剥ぎ取った皮など。こうしたアラのようなものに塩と片栗粉をつけて揚げる。

鯵を下ろすのも骨煎餅を作るのも本当に久しぶりのことだった。大層な酒の肴を食べたような気になったが、古漬けの胡瓜半本と鯵のアラを食べたけなので値段にすると本当に100円にも満たない。結局、昨夜は鯵の刺身は食べなかった。よく冷えたものを今日楽しもうと思う。