
今日は朝からカレーを食べている。
和洋のスタイルを問わず「朝食然としたメシ」をいただくのは気持ちも良いが、僕は朝からカレーを食べたりカツを食べたりするのも平気である。これはスタイルを問わない…と言うだけのことであり、前夜飲み過ぎた朝にカレーなど欲しいわけもない…。そんな朝は味噌汁がいいのだ。…いや、何も食べずに冷たい水を飲むのが一番か…。
さて、昨夜は久しぶりにカレーを作った。「久しぶり」なんて言っても一月ぶりくらいのことだろうから、カレーを作ること自体は特に久しぶりでもないのだけど、小麦粉を炒めて作るカレーは本当に久しぶりに作ったのだった。
「給食のカレー」とか「お母さんのカレー」なんてふうに言われる昭和スタイルの日本らしいカレーの美味さは油脂と小麦粉由来である。小麦粉を溶かし込んで煮た汁がトロミを帯びていて、そのドロリとしたヤツこそがカレーだと思う人もいる。僕は特に好きではないのだけど、アレを子供の頃からカレーとして食べさせられてきた習慣のせいで嫌いではない。
しかし、アレは「カレー風味の小麦粉シチュー」と呼ぶ方が相応しい料理であり基本的にはアレはカレーではない…と僕は決めた、今。

そんなふうに特に好きでもない「小麦粉シチュー」を作ったのは「冷蔵庫の在庫処分」のためだ。この間、天麩羅を揚げたのだがその時の打粉と衣が残っていたのだ。もう一度天麩羅を揚げればこれらを消費出来たのだろうけど、天麩羅にしたいような良質なタネもなかったし、傷まないうちに…と塩茹でしておいた豚肉の薄切りも冷蔵庫に残っていた。そんな訳で昨夜は小麦粉を使ったのだった。
クミンやマスタードの種をテンパリングして唐辛子のほか各種スパイスを加えているので「昭和スタイル」の小麦粉シチューと比べると随分とエキゾチックな料理である。もともとスパイスカレー作りは趣味のひとつなので、特に意識しなくても反射的にちゃんと香りのする小麦粉シチューを作ってしまうのだ。
しかし、しっかりとスパイスを効かせても普段のカレーには入っていない小麦粉由来のドロリ感があると、スパイスのシャープさが小麦粉でコーティングされてしまうようで、その魅力も半減するように感じた。スパイスをちゃんと楽しむには煮込まれた野菜や乳製品由来のトロミの方が適している。小麦粉との相性はよくない。

その相性の悪さを多少打開してくれたのがこの植物だ。ここ数年、カレーリーフを植えていて、この夏も元気に葉を茂らせているやつを小麦粉シチューに加えた。
これにより僕の小麦粉シチューは随分とカレーに近付いた。カレーリーフという植物は結構丈夫で、夏の暑さを大喜びして。グングンと成長していく。この夏、僕のカレーリーフは40センチくらい伸びたのではなかろうか?摘みたての葉っぱを料理に加えると南インド偏差値が莫大に上昇するのでカレー好きにはその栽培を強く推奨する。

さて、こうして作ったカレーっぽい小麦粉シチューは御飯にかけずに食べた。小麦粉を煮込んでいるのでそれは粥のようなものである。僕は御飯は好きだが、ドリアというものは好きではない、と言うか食べたことがない。なぜ御飯に御飯を乗せたようなものを食べんとならんのだ…と思うから。
…なんて言いつつも、マカロニグラタンは食べるしラーメンとチャーハンも一緒に食べるから、ドリア嫌いも粥のような小麦粉シチューを御飯にかけないのも気分なのだけど…。
普段はカレーにジャガイモも加えない。好きではないから。ただ今回は特に他の具材になるものなかったところに、先週買った安売りのジャガイモがあったのでそれを加えた。
そして、カレーをよそった器は昨年買ったものだ。去年、青い縁取りのカレー皿が欲しくて何点か買ってしまったもののひとつなのだけど、そんなに好きではない。メルカリで現物を見ずに買ったのが敗因だった…。
…と、特に好きではない要素に満ち溢れた小麦粉シチューだったが、カレーっぽい味がちゃんとして美味しいものだった。またしばらく作らないと思うけど。