ようやく涼しくなってきたなと思っていたら、涼しさなどを通り抜けて寒さを感じるようになった。
春夏秋冬の四季というものをキッチリと3ヶ月ごとで年間四等分出来る訳でもないけど「暦というもの」に従うならばだいたい8月から10月の3ヶ月間が秋にあたる。
このうちの2ヶ月は「暑くて堪らん…」というような気候なので、もはや「暦のうえでの秋」という概念は無視したいと思っているが、二十四節気とか年中行事みたいなのもあるから忘れらることも出来ない。
さて、今日は秋の味覚について記す。
各季節毎にその季節の味というものがあるが「秋は御馳走が出回る時期」という印象がある。こう感じるのは僕だけではないと思う。
農作物の収穫期だからか…と思ったのだが、別に秋じゃなくてもその時期その時期に採れる物はあるのだから「実りの秋」なんて言葉もあれど、実るものなんて春にも夏にもあるのだった。やはり「実りの秋」の語源には新米が出回ることが大きいのだろう。

先日来、新米を食べるようになった。やはり美味い。この数年で僕自身が米を食べる量は減った。歳をとってくると代謝が落ちることを実感する。メシの量を減らしているのに痩せたりしない。まあ、その分酒の量が増えているのだから、そりゃそうか…。
米の消費量が減ったところに米価格の高騰もあったので僕の中でも「コメが高いなら酒を飲めばいいじゃない」と米と距離を置くようになった。
なので、まだ24年産の古米が少しだけだが残っていたところに新米を貰った。今現在、僕のウチには60キロの新米があるのだ。この新米を先週から食べ始めた。
やはり新米は美味い。「米に甘みがあって、オカズがいらんな…」なんてことを言いながら食べるのだが、オカズがいらない訳などない。オカズがあった方がより一層御飯の美味しさを楽しむことが出来る。
…と、例年のことだが今年も新米を楽しむことが出来ている。幸せなことだ。そして、そのうちに「栄養価のない嗜好品のような米ばかり食べていたから体調が優れない」なんて米の悪口を言い出すことも分かっている。人の生活なんておっさんになればなるほどパターン化されてきて「いつものお決まりのような流れ」になるものだ。
なので、今年は新米を一度炊いたらその次は麦シャリを炊いて食べるようにしている。これだと口が奢ることにもブレーキをかけられるし、なにより身体にいい(という自己満足に浸ることが出来る)。
こうした工夫により今年の新米は例年以上に美味しくなるはずだ。