datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

その環境で得られること

つい一ヶ月前に田舎から都会に引越してきたのだが、意外なことに東京の街中で秋を感じることの方が多い気がした。

2週間くらい前のことだが、朝の通勤途中、地下鉄の駅を降りたら銀杏の匂いがした。嗅いだ瞬間に「これが銀杏だ」と分かるが、この匂いは久しぶりだった。

思い返してみると沼津にいた2年間、近くに銀杏の木がなかったわけではあるまいが、あの臭さを感じることなく過ごしていたように思う。

そして一週間くらい前には道路に落ちている椎の実を見つけた。多くのものが人に踏まれたからなのだろうけど割れて潰れていたが、僕は懐かしくなって無事なやつをポケットに詰めて持ち帰った。

椎の実は幼稚園の頃におじいちゃんに連れられて近所の八幡宮で拾い、それをウチでおじいちゃんが炒って食べさせてくれたことを覚えている。

その時の椎の実はとても美味しく、こんなに美味しいものが落ちているのなら、お菓子など買ってこなくてもいいのに…そう思ったことも朧気ながら覚えている。

この記憶があったので、今から15年くらい前に僕が子供たちを連れて近所の神社で椎の実を拾って持ち帰り、そいつを炒って一緒に食べたのだが特に美味しいものでもなかった。幼稚園時の頃から30年くらい経っていたのだから、口が驕っていたのだろう。

そんな思い出のある椎の実を久しぶりに炒って食べてみた。思いのほか、美味しい。本当に素朴な微かな甘みのあるボソボソとした木の実だった…って不味そうな説明だけど…。

銀杏にしても椎の実にしても、沼津にいた時には僕の身近にはなかった。東京と比べれば必ず至近距離にそれらはあったはずなのに「実際に接する機会」がなかった。森の中や山の中を車で走ることも多かったし、草木の生い茂った河川敷もよく散歩した。でも、銀杏のあの嫌な芳香を嗅いだ記憶もないし、椎の実を見たこともない。

本当は身近にあったのに「それに接しよう」という意識を持たなれば、それらを思い出すこともなく簡単に2年の月日が流れたのだった。

沼津に住んでいた時の僕は田舎町での生活を不便がるばかりでそこにある魅力を体験しようという意識に欠けていたのだ…。

今月から始まった僕の東京生活がどのくらいの期間になるのかは分からない。この一ヶ月はウチを快適にしてそのウチで過ごすことばかりを考える生活だったが「東京生活ならではのもの」を感じ取ることに時間と労力と財布を少しずつシフトしていこうと考える休日だった。