東京に越してきてから一月が過ぎた。
一ヶ月というと「たったの一月の間」というふうにも思ったりするが年間の8〜9%があっという間に過ぎたことを思うと恐ろしい。
この間、自宅の片付けは少しずつ進んでいるように思っていたが、振り返ってみての作業量とかか「実際にへやが片付いた成果」を見てみれば結構な進捗であるから、僕たち父子はそれなりに頑張ったのだと思う。
…って、息子にも作業を手伝わす…というか、作業の工程を見て覚えて欲しいという昭和風の徒弟制度のようなスタイルでやっているのだから、実際に頑張って成果をあげたのは僕一人なのだった。それでも息子には「自分の住むところくらい自分である程度整えられるだけの技量は身につけて欲しい」と願う。
さて、東京に越してきて強く感じるのは「やはりメシが高い」ということ。大枚をはたいも食べたくなるようなイイ店も沢山あるが、気の無くままにそんな店で飲食していればあっという間に生活が破綻する。
先々の金が心配になるような刹那的な生活は若い頃に味わい過ぎたせいで今はすっかり興味が失せた。
そんな訳で昼御飯はだいたい弁当を持参しているし、僕の分も作るのなら一人前も二人前も大して変わらん…ということで息子の弁当も作っている。
先週からの弁当を記録として残しておく。

この日は鰤の塩焼き。天然のものが安価に売られていたので4切れ買って2切れはいつかの夕食に、そして残りの2切れを弁当にした。
焼き立てのものの方が美味しいことなど分かりきっているが、冷めたものも弁当の菜として考えると充分に美味しいものだった。

そしてある日は酢豚。これは息子がバイト先から貰ってきたものを僕が弁当として持参したもの。
大学生の息子の生活を気遣ってバイト先の人が与えてくれたものをその親が食べる…という一家の貧乏くささを全開にした弁当だ。
バイト先に優しい社員がいてその人が息子に良くしてくれるそうだ。この日も「いつか息子が酢豚を好きと言ったことを覚えていてくれて、その好物を作ってやろう」ということで賄い料理が酢豚になったどころか、余っていたものをこっそりと沢山持ち帰らせてくれたとのこと。
大学生を可愛がったつもりが、50過ぎのおっさんがそいつを弁当にして食べているとは思いもよりまい…。
これの味はとにかく濃厚だった。それ以外の感想を言うと僕のことだから悪口にしかならない。「白いメシが進む味」というのが僕なりの最高の賛辞である。
貰っておいてこの批評も酷いようにも思うが、そんな味なのだからそのままに感想を述べる方が誠実だと思う。「化学調味料でごまかした味」とか「飲食店で料理人が作る賄いがこれなら、その店の味なんて知れてるよな」という酷いことを書かないだけ紳士的だ。でも「味云々ではない味覚を超越した美味しさ」に溢れたものだった。

そして今日は塩鮭の弁当。副菜も糸こんにゃくの煮付けとか茄子の辛子漬けとか茶色いオカズのオンパレードで見栄えもクソもないヤツだ。
息子との生活の中で僕たちは「映えずに地味なメシ」ばかりを食べている。ただ、味わい深い。そして安い。
こうした弁当を食べることが我々にとっては分相応であり、地に足をつけた生活を送るうえで大切なことなのだと思う。本当は彩り豊かでもっと分かりやすい御馳走オカズの弁当も食べたいと思うけど…。