三連休の最終日、11月の下旬だと思えばとても温かく日差しの気持ちいい朝だったので今日は新宿に出掛けた。

帽子を被って出掛けるのは久しぶりのこと。今から30年前くらいから20年前くらいまでは「出掛ける時には当たり前のように帽子を被ったり」していた。
野球帽は少ししか持っていないが、ハンチングやキャスケット、そしてハットもそうした時期に沢山買った。今でも帽子を嫌いだとは思わないのだが、昔ほどの頻度では被らないし、新たに買うこともなくなった。…って、そう言えばこの夏にもボルサリーノを一つ買ったのだった…。
帽子を被って出掛けるのも久しぶりのことのように思うが(実際は夏な暑い時にボルサリーノを被って出掛けているのだけど…)、新宿という街に足を踏み入れるのも久しぶりのことだった。
人の多い雑踏を歩きながら「直近ではいつこの街に来たのだろう?」と考えてみたが、それはコロナ禍直前のことのように思えた。その頃に映画を観たり、とんかつ茶漬けを食べたりと大した用事でもないのに新宿に来ることがあった。当時は都心に住んでいたしね…。


久しぶりにやって来た新宿は特別に魅力的なものがない街だった。物欲にしてもある程度満たされているし、食欲にしても新宿の街のあちこちにある油そばとかギトギトしたラーメンには食指が動かなくなった。
こうした欲が満たされているのでその街の魅力を感じにくくなった…なんていうと満ち足りた幸せな生活を送っているようにも思えるのだけど、これは僕がジジイになったからなのだ…とも思った。
物事の価値が分かってきたり、自分の懐具合をちゃんと鑑みて何にお金を使うべきなのか?という分別がついてきたということ。そして、自分を満足させるにはどこで何をすべきか(僕の場合は余計なものを買ったり外で食べたりせず、自宅で楽しい時間を過ごすことを指すことが多いのだが…)というスキルが身についてきたのだ。
もう50を超えたのだからこういう分別は身につけて当たり前なのだろうし、これも成長と言えば成長なのだ。しかし、繁華街にときめきを感じなくなったことは「成長ゆえの老化」には違いない。
温かな秋の新宿を歩きながら、なんだか寂しい気持ちにもなったが、それを寂しがってみたところで仕方ない。身の丈というか、年相応のというか、とにかく今の僕にベストな生活を楽しむことに力を注ぎたい。

そう言えば新宿を歩いているとチェットベイカーの映画をやっているのを知った。もう30年以上昔のものだが、まだ観たことがなかった。
こうした「ふとした気付き」が多いのは都会の生活のいいところだと思う。