今住んでいる東京にしても、ちょっと前まで住んでいた沼津にしても全国的には温暖な地域なのだが、冬らしくなってきた。「寒くなった」ということだ。
本当に寒い地域で雪が降ったり積もったりしているニュース映像を目にすると「まだ寒がっている場合でもないのだろう…」なんて思ったりするのだが、寒冷地に住んだことのないぬくぬくとした温室育ちの僕としては、温暖ところにいようとも寒いものはやはり寒く、冬の到来を感じざるを得ないのだ。
さて、一週間くらい前のことだが「蕪とともに我が家に潜入することに成功した青虫」のことをこちらに記した。
青虫が食うに困らぬよう蕪の葉っぱの栽培体制も整えてヤツを家族の一人として迎え入れたのだが、全く蕪の葉っぱを食べないうちに元気がなくなり、すぐに全く動かなくなってしまった。
やはり寒さが身に堪えたか…と思い、無事に我が家から巣立つことの出来なかった亡骸を近くの緑豊かな場所に埋葬してやろうと考えていた。
そんな訳で居候青虫を出棺させようとしてみると、動かなくなって数日のうちにヤツはその形態を大きく変えていた。

ダメかと思っていたが無事に蛹になっていたのだ。これで一応冬を越える体制にはなっていたことに安心する。
青虫は蕪の入ったビニール袋の中にいた時に既に蛹になる支度を始めていたのだろう。ほぼ身動きの取れない「ヨガの眠り©レインボーマン」のような状態の時にお節介なおっさんに見つかってしまい、成す術もなく虫籠に入れられてきっと迷惑だったことだろう。
それにしても蛹になったばかりの青虫は鮮やかな緑色で、それを眺めていると「故宮博物院の白菜」を思い出した。実物を見たことはないが…。

…と、思って画像検索してみたのだが、僕の記憶の中での故宮博物院の白菜は我が家の蛹とよく似ていると思ったが、実際にはそうでもなかった…。この後で「白菜のことをここに書く」のだけど、それにこじ付けるためではない。その時は本当に「蛹が故宮の白菜に似ている気がした」のだ。
さて、早速白菜のことを書くが、一月くらい前に漬けた白菜を樽からあげて冷蔵庫で熟成させている。そのお陰で冷蔵庫はキャパ一杯だ。

水からあげた白菜はその大半を熟成させつつ、その端から食べていく。酸味が徐々に旨味に変わっていき、そのうちに「漬物ではないような食物」になっていくことを自分の舌で感じることが楽しい。
一月前に漬け込んだ白菜漬けは酸味は大分和らいできたものの、それが旨味に変わっていくということを目標にしているので、世間的には古漬けの部類に入るのかも知れないが、僕にとっては「これからようやく熟成を始める御新香」のようなものだ。
冬の漬物の楽しさは白菜と蕪。蕪はまだ漬けていないのだけど、スーパーで買った蕪に紛れてやって来た青虫が白菜(故宮展示品)を思い出させるような蛹になる。その蛹に変わるという行為は無事に冬を越すための「冬支度」である。
生命の存続をかけた青虫の冬支度と比べると、美味いものを食べるためだけの僕が白菜を漬けたというだけの冬支度なんて大したものでもないのだが、「いや〜、お互い冬支度ですねぇ。寒くなりましたもんね…」と会話をしたような気持ちになった。蛹は何も喋らないのだけど。