年末年始の休暇の間は「とにかく御馳走を食べること」を中心に生活していた。
先日来、このブログにも記しているとおり娘たちが遊びに来たことが一番のモチベーションだったのだろうけど、そのために部屋をしっかりと片付け、安価な割には皆が喜びそうな献立のための買物に奔走し、厳かでありつつ楽しい時間を演出できる音楽の選曲に没頭していた。
まあ、これが今現在の僕にとっての新年を迎える準備の全てなのだろうね…。生活のあらゆる原動力が「食べるため(厳密には食べさせるため)」というのが自分らしいなと思った。
さて、大晦日の夜は日が変わった頃に皆で湯島天満宮に出掛けて初詣を済ませておき、元旦はゆっくりと8時頃に起きて長男と一緒に天麩羅のために油臭くなった部屋を掃除して、放っておけば昼まで眠るんじゃないかと心配になるような娘たちを起こして10時過ぎから朝食にした。

朝からシャンパンを開けて煮しめと蒲鉾と白菜漬という正月料理。里芋という食材は特に嫌いでもないが好きでもないので普段は滅多にを食べることもない。そのため年に一度の里芋調理である。

その後は雑煮を子供たちに食べさせて、僕は酒を飲んで寛ぐ。酒好きの長女は僕と一緒にグイグイ飲むのだけど…。
元日から翌2日までの間の献立は、煮しめ、蒲鉾、白菜漬、雑煮。元日の夕刻にはミナミマグロの刺身、エビとマカロニのグラタンを支度した。蒲鉾と白菜漬は常備菜のような感じで、雑煮は両日とも振る舞った。そして2日の朝には鰤の塩焼き、そして昼には子供たちのリクエストによりドリアとトマトソースのスパゲッティを作った。
自分で書き出してみて思うのは「大晦日と同様に大した御馳走でもないような献立だな…」ということ。
平素より少しだけ奮発したもののように見えるのだけど、僕たち家族は満足したし、随分な御馳走を楽しんだ気でいる。蟹もすき焼きも登場しないが、美味しく楽しい食卓だった。
こうした楽しい数日を過ごした後、昨日の夕方前には彼らは彼らの母親のもとに出掛けていき、僕は久しぶりに一人で過ごしている。
今朝は一人で目を覚まして、寝室から居間に行くとやけに寒かった。ガキどもがいないせいではなく室温がこれまでよりも低い。窓を開けるとうっすらと雪が残っていた。昨夜、眠る時に雨の音が聞こえたが夜の間は雪が振っていたようだ。そりゃ寒いはずだ。


その後は残っていた蕎麦つゆやら天タネを消費しておくべく、まさに敗戦処理のような塩梅で今更のような蕎麦を作って食べる。今日は朝から飲んだりしない。
なんやかんやと「普段の僕からしてみれば大層な御馳走」が続いていたので、そうしたものを口にする事にも完全に飽きていることに気がついた。どうでもいいようなものを口にしたかった。

そんな訳で近くのコンビニでコーラを1本買ってきて、普段飲むこともないウイスキーコークを夕方から飲んでいる。
学生が飲みそうなシャバい飲物は久しぶりの一人の夜の淋しさを増幅させるような気もするが思いのほか、美味しい。
こうした「どうでもいいようなもの」があるからこそ、大したこともない献立も御馳走になり、そこから喜びを感じ取れるのだと思いもするが、御馳走であるかどうかの本質は誰と食べるのか?が大きいことにも気が付いている。