お彼岸の三連休は期待していたよりもずっと寒く、春の陽気とは程遠い。今日は連休の最終日だが朝から自宅でのんびりと過ごしている。
木曜日の夜、金曜日の朝、そして昨日の朝…と三日連続でゴルフの練習に行った。そもそもゴルフが好きではない…というか「世の中からゴルフがなくならなくてもいいけど、僕だけは縁を持たなくてもいいようにしてください」と願うほどなのだけど、仕事上の必要に迫られて練習しなくてはならなくなった。
2月から室内練習場に会員登録して週に3回くらい練習に行っているが、それが最近楽しくなった。
…と言っても、ラウンドしている訳ではない。単にアイアンを反復して振って、パキンといいところに当たった時の気持ちよさが楽しくなってきただけだ…。僕の自己満足が楽しいだけであり、劣等感に苛まれるばかりなので人と一緒にゴルフをしたいとは思わない。だから、ゴルフを好きになった訳ではないのだ。
あと、こちらの練習場には月額13,200円の利用料と入会金とか色々払ったので「その元をとろう!それには少しでも楽しまねば損だ…」という無意識下での損得勘定も作用しているのかも知れない…。そう思えば、毎日練習に行った方が練習単価も下がってお得なのだろうが、そこまでは熱が上がっていない。
しかし、別にゴルフではなくとも何かが上手く出来るようになるというのは気持ちのいいことだ。僕は趣味としてラッパを吹いているが、これも少しであっても上達の手応えを感じると嬉しい。
ただ、ラッパの練習は数日サボると簡単に唇が弱ってしまい、ある程度の現状維持しているだけで僕にとっては「とても偉いこと」だったりする。しかし、この場合はとても努力してみたとしても「現状維持しているだけ」なので上達や進歩とは程遠い。だから「新しく何かが出来るようになって気持ちいい」という体験はラッパでは滅多におこらない。
その他の趣味としては漬物を漬けたり料理を作ったり、部屋を片付けたり(…ってこれは生活作業であり趣味と呼ぶ人は少ないのだろうけど、僕はこうしたことを趣味だと思っている…)という行為もだいたい上手いことこなせるから「新たに会得したいというもの」を思いつかない。
人は50年生きていると興味や必要のあることはだいたい出来るようになるし、出来ないことについては興味を持たずに意識の外に追いやって日々を暮らすものなのだ。これが老化だし、僕もジジイになったなあ…と思う。
…という状況下「新たに体得したい、そしてその為には直向きな練習が必要だろうけと挑戦してみよう!」と思うことを見つけた。「鍋振り」である。

息子と2人で暮らすようになって半年になるが、彼がバイト先から「賄いで残った御飯」を貰ってくる。下宿学生への温かな配慮であり、愚鈍な息子がバイト先のおっさんたちから可愛がられていると思うと嬉しくなる。
しかし、このメシがマズい。滅法マズいのだ。
息子のバイト先はちょいと高い鮨屋だが、鮨屋のメシがこんなにマズいってその店は本気でヤバいんじゃないのか!?…と心配になって尋ねてみたら、客用のシャリに使うメシと賄いに食べさせるメシは全く別のものだそうだ。賄い用のメシは安価な家畜用の米を給食のような電気釜で炊いたものらしい。
そうか、そうか…と大きな御世話ではあるが鮨屋のメシのマズさにも安心したのだが、貰ってきたメシのマズさが解消されることもないので、そいつらをチャーハンにして食べることが増えた。…というか、僕ら父子では「あのメシはチャーハン用」という認識だ。

そもそも僕はチャーハンという食物を特に好きでないのだが、食物を粗末にすることの方がもっと好きではないので「賄い余りメシへに戒名を与え成仏させる儀式」のような気持でチャーハンを作っている。
チャーハンについての見識も思い入れも浅いのだが、要は「油炒め御飯」だ。油というか脂の旨さが味わいに直結するようで、しばらく前に和牛のヘッドを用いて作ったものは息子にも好評だった。
しかし、そんな脂がいつでも用意できる訳ではないし、その為にラードを買うなんてことも勿体ないことだと思うのでテキトーな油とか太白胡麻油などを用いて作っている。
油炒め御飯…あとは炒め方だ。一人前を作るときにはそんなに紺地内のどけと、2人分を作るとフライパンに接していない御飯が蒸らされてしまいベタベタと美味しくないものになりやすい。箸でメシを切るようによく混ぜるのだけど、ここで「鍋振り」の必要さを感じたのだ。
何から練習すればいいかなんて、ウェブを見ればお節介な動画とかが落ちていることだろう。「包丁人味平」でも主人公の味平が砂場で練習していたものだ。
ゴルフの練習と違って鍋振りなら月に一万円とか取られることもない。早速取りかかりたい。