新米を炊く。

昨夜、久しぶりに米を炊いた。

8月の上旬あたりから米不足が報じられるようになり、沼津のスーパーでも米を見なくなった。8月中はウチにあった米を食べたりしていたのだが、その後は米を食べる頻度を減らして麺類を食べたり、酒を飲んだりしていた。

先週、立ち寄ったスーパーの米売り場を見ると沢山の米が並んでいた。色々な銘柄のものがあり、新米もあれば古米も売られていた。

古米は5キロで2,500円くらい。新米は5キロで3,300くらいだった。去年の価格から2〜3割高い。こんな価格で米を買うくらいならケーキを食べていたほうがマシだ!…というキモチもあるのだが、やはり米が欲しかったので2キロの新米を買った。1,300円くらい。

売り場に出されているものの2〜3割程度が新米だったが、これからもっと新米が出回ってくると古米など誰も買わなくなる。もっとも「今更のように沢山並べられていた古米」はこれまではどこにあったものなのだろう?

米不足に乗じて高値で売ってやろうと隠し持っていた古米が新米の登場により高値では売れなくなるから急いで流通させたものに違いない。こうした様子を見ると食料自給の大切さを考えさせられるし、古米で儲けてやろうとしていた奴らは大損すればいいのに!と強く願う。

さて、我が家に買って帰った米は静岡産のコシヒカリで特に美味いと称される米でもない。そもそも「静岡県の米」自体が馬鹿な県知事の発言によって注目を集めるくらいのものだから、全国レベルで見れば話題にすらならないのも仕方のないことだ。

しかし本来ならば5キロ2,000円以下で売られるのが順当なレベルのものが、その1.5倍以上の値段で売られているのには辟易とする。大した米でもないのに…。

こうした米であっても、しっかりと水分調節して木蓋で圧をかけた文化鍋で炊くとすごく美味しい…。……と思っていたが、特別に美味いものでもなかった。

炊き立ての飯というものなのだから、それ相応の美味しさはあるが「その年の初物となる新米」を食べる時の旨さや米の甘みは感じ取れなかった。

銘柄米ではなくとも新米というものはもっと美味しいはずだから、炊き方に何かの難があったと思うようにしよう。浸水時間が30分くらいだったので次はもっと延ばしてみるか?…そのくらいしか思いつかないのだけど、高い米なのだ、少しでも美味しく食べるようにしたい。