生活リズム

寒い日が続いている。

最強寒波なるものの到来は嘘ではないようだ。全国的にドカ雪が降ったり、その影響で足止めを食らったり、色々と痛い目にあう人もいる。

そんな気候の中、僕の住む町は特に雪が降ることもなく、これまででは一番寒い日が訪れてはいるが、他の地域から見たら「何と言うこともない冬の日」が続いている。

寒くなると「朝、布団から出るのがつらい」とよく言う。これは全国平均的には暖かな僕のウチにおいても例外ではなく、僕が起床して活動を開始する時間も随分と遅くからになった。

これには寒さも関係しているのだけど、何よりもジャズに没頭していることの影響が大きい。楽しい趣味に没頭してしまうと、睡眠時間に簡単に影響が出てしまう。そして、それまでの何年間に築いてきた「それなりにちゃんとした生活リズム」も本当に簡単に崩れてしまうことに驚く。

最強寒波がやって来る

「10年に1度というレベルの寒波がやって来る」なんてことが数日前から伝えられている。

今もテレビを見ると「各地が寒い」「そして各地で雪による立ち往生が発生する」なんてことをやっている。

 

ニュース番組は「いいネタが出来た」なんて具合で、台風が来るときのワクワク感のように報道しているように見える。

「10年に1度」なんていう例外的なものなのだ。だったら、「こりゃ仕方ねえ!」と達観して防戦一方になればいいのに、それでも「きっと立ち往生が頻発する」なんて言うのは、達観もせずに、そして滅多にないことが起きようとしているのに「いつも通りのことを無理にしようとする」からだけだ。

古来の百姓が「雪がドカドカ降る日に畑を耕しに出かけて立ち往生する」なんてことはないだろう。更には情報伝達が発達して、数日前から「凄い寒波が来るぞ」なんてことは分かっていることだ。

なのに明日とか明後日のニュースは「この寒波による被害」を楽しそうに伝えるのだろう。

報道することもいいし、それを話題にするのも結構だが、本当に被害を抑えたいのならその情報に向けての支度をしろよ!と、強く思う。

 

先週の弁当

■月曜日

祝日なので無し

■火曜日

チャーハン

これは先日の記事にも書いた「歓迎しない蒲鉾」を使用したものだ。会社で後輩に不味い蒲鉾をどうすればいいか?と聞いたところ、その後輩は「細かく刻んでチャーハンにすればいい」とのアドバイスをくれた。それに從って調理したものだ。

フライパンにラードを入れ玉子を落としてジュブジュブさせる。玉子が半熟のうちに冷ご飯を入れてほぐしながら炒める。酒を加えて水分を飛ばすように煽り、細かく刻んだ葱と蒲鉾を加えて仕上げる。至って普通のチャーハンだが、チャーハンにしたからと言って不味く蒲鉾が美味くなるものでもなかった。

蒲鉾はそのまま山葵醤油にでもつけて食べるもので、その食べ方は「刺身と同様」なのだ。刺身の中にも全く美味くないものもある。そんなものは「りゅうきゅう」にしたり、バター焼きにしたりすると、不味くて食べられないレベルだったものが普通に食べられるようになる。蒲鉾もこれと同じように美味しくなるのかと思ったのだが、特に美味しくなるようなことはなかった。玉子や葱、そして御飯にまぶされていることでズブズブした蒲鉾の食感が目立たなくなっただけなのだ。

しかし、娘からはこのチャーハンについて「きれいで美味しかった」とのことだった。蒲鉾を捨てずに済み、尚且つ喜ぶ人間がいるというのは嬉しいことである。まだ2本残っているのだけど…。

■水曜日

塩鮭、出汁巻き玉子

先週の連休にバンドのメンバーと新年会を行った。その際に鶏の水炊きを作ったのだけど、その時の鶏の出汁を使用した出汁巻き玉子である。出汁巻き玉子には普通、鰹と昆布の出汁を使うが鶏の出汁で作ると淡い親子丼のようになる。そりゃそうだ。

■木曜日

ちらし寿司と昆布巻+鶏手羽元のスープ

いずれも年末に作ったものだ。ちらし寿司は冷凍しておいたもので、昆布巻は何度も温め直して延命させていたものだ。スープは新年会の時に取っておいた出汁を使用。

これらを食べ終えて、食卓における年末年始も遂に終わり新たな季節がやって来るのである!……って、蒲鉾がまだ残っているのだけど。

■金曜日

カレーライス

翌日からセンター試験なので午前授業となった。今はセンター試験とは言わないのだが、長年親しんだ呼び方を変えるつもりはない。意味は通じるし。

華麗な点数を取れるといいな!と無理矢理なこじつけもしたけど、実情は鶏の出汁(冷めると煮凝りになる良質のもの!)を美味しく消費したくてカレーにしたのだ。

金曜日の昼に我が家に寄ってカレーを温めて食べた娘は、実はその日の朝もそして前日の夜もカレーを食べていたそうだ。「好きだからいいよ」と言ってくれたものの、やはり3食連発のカレーは飽きただろうと思う。

蒲鉾という食品

日本人の平均的な消費頻度を知らないのだが、僕はそんなに練物を食べない方だと思う。

滅多に買わないけど、外で買った弁当に竹輪が一切れ入っていた…とかいうのはカウントしなければ、月に一度あるかないかの消費頻度だった。

食べれば美味しいと思うし、決して嫌いではないのだが特別に好きだという訳でもないのだろう。しかし、この秋以降、練物を口にする機会が増えてきた。何と言っても、肉を食べない長女の弁当作りにおいて「玉子と練物」はタンパク源として重宝するのだ。竹輪の磯辺揚げは2回作ったし、蒲鉾を入れることもある。

そこで蒲鉾について思うことを書くのだけど、これはモノによる美味さの差が大きい。僕の実家のある地方は蒲鉾作りが盛んなようで、小さい頃から蒲鉾のテレビCMをよく見たし、口にする機会も全国平均を上回っていたと思う。味よりも弾力を重視しているのでなかろうか?と思うほど弾力に富んでおり、そのプリプリの食感を僕も娘も好んでいる。

そんな蒲鉾とは別物として、毎年仕事の付き合いで蒲鉾の詰め合わせを買わなくてはならず、全く欲しくもない5本入りのものが年末から冷蔵庫にいることになる。

この蒲鉾がズブズブでスカスカしていて全く美味くない。まあ、これら僕の感想に過ぎないもので世の中には「蒲鉾といえばあのズブズブでスカスカな食感が堪りませんね!」なんて言う人もいるだろう。いや、そんな奴はいないか…。でも、この蒲鉾が不買運動により廃版になるということもなさそうなので一定数はこの蒲鉾を好きな奴もいるのだろう。

これを年末に買わされても、正月そうそう不味いものを口に入れたくないので食べずにいるとあっという間に1月中旬を過ぎて、結局食べずに捨てる…というのが毎年の恒例行事のようになっている。

数年前のことだが、捨てるのは勿体無いのでは和風のグラタンにした覚えがあるのだけど、そんなふうに手を掛けてみても不味いものはやはり不味く、結局グラタンごと捨てる羽目になり勿体無さの傷口を広げる結果となった。

以来、僕はこいつを手に入れたら極力人にあげて勿体無い結果を回避するようにしているのだが、今年は数本がうちに留まった。

不味いものが口に入るというのはとても残念な体験だが、自分で金を出して買ったものをそのまま捨てるというのも残念な体験なので、今年は廃棄を避けるようにしている。

その様子はまた別稿で。

娘の弁当

去年の秋から高校生の娘に昼食の弁当を作っていた。きっかけは彼女が母親との徹底抗戦体制に入り互いが意地を張り、ハンストと兵糧攻めのクロスカウンター合戦が行われた…という実にくだらんきっかけだ。

どんな弁当を作ったのか忘れないようにこちらのブログにもメモしていたのだけど12月はほぼ弁当を作っていない。前半は午前中授業で、そのまま冬休みになるのかと思っていたら、ラストの2週間は弁当が必要になった。しかし、この期間に娘は突然の酷い偏頭痛に見舞われ食物も食べられないような状況で学校を休んでいたのだ。

そして、年が明けてからは先週、2度ほど弁当をもたせた。1/5(木)から学校が始まったのだが、冬休みなんて1/7まであるのが当然のように思っていた。まあ、僕が子供の頃に比べると祝日も増えているし、土曜日も学校が休みになったので長期休暇の期間が短くなる以上に、その他の休みが増えているのでこれも仕方あるまい。

登校初日の弁当はちらし寿司と昆布巻きにした。年末に炊いた干瓢がまだ残っていたやら、数日前に柔麺にした油揚とか冷蔵庫の残り物を使ってのちらし寿司である。

そして二日目の金曜日はカニ玉とモヤシ炒め。カニ玉はその前夜に末娘と一緒に食べていたものが驚くほどの美味しさだったので、それを取り分けておいたものだ。いずれも娘には公表だったが、とくにカニ玉は嬉しかったようで喜びの報告があった。そりゃそうだ。奴がカニ玉を好きだったことくらいちゃんと覚えている。10年くらい前になるがカニカマでカニ玉みたいなのを作って食べさせた時にとても喜んでいたように記憶している。

さて、そんな弁当作りもあと3週間の作業となった。高校生の弁当なんてものは行楽弁当ではないなで、高価で華美なものである必要はない。むしろ、高価で華美なものではない方が望ましい。日々口にする「普段の食生活」を箱に詰めてちゃんと食べさせるだけだ。

オカズの全てを冷凍食品とか出来合惣菜だけの弁当を持ってくるやつも多いそうだ。それは弁当を作ったのではなく「弁当を詰めた」というのが正しい。「弁当作ってます」なんてことをいけしゃあしゃあという女の中には「詰めただけ」を過大評価してるやつも多いとのだろうと思う。

残りの3週間は、いや3週間【も!】ちゃんとした弁当を作りたい。

※僕は2週間に一度くらい冷凍食品を食べる。料理が下手くそな女もいるだろうから、そんなやつは冷凍食品もしようとすればイイ。不味い料理を弁当にされるより皆が幸せだ。

ただ冷凍食品オンリーの弁当を「作った」と言うのならコンビニの弁当を詰め替えて「作った」というのも同様だし、何なら白いメシの入ったタッパーと冷凍食品を袋のまま持たせた方が潔く見える。

勉学に勤しむ

元日の夜は特になんということもない正月料理を食べた。煮染めと漬物くらい。昼間に天婦羅を上げて食べたので夕食は特に支度をしなかった。

元日の昼間から天婦羅?と思うような行為だが、僕もそう思う。しかし、これには然るべき理由があり、前夜の大晦日に揚げようと思っていた天婦羅のタネが手を付けずに残っていたからだ。むきエビのかき揚げと春菊の天婦羅なので、いずれの材料も他での利用方法はあるのだが、暇な元日の昼下がりを僕は天婦羅作りをしながら過ごした。

夜はジャズを聴きながら割と早めに床についたのだが、ジャズバンドのことを考えてながら眠りに入ったせいなのだろう。今年の僕にとっての初夢はバンドでの選曲とな運営のことを考えているようなものだった。これは既に夢ではなく、うつらうつらと浅い睡眠を取りながら頭のどこか眠りに落ちていない細胞の幾つかが考え事をしていただけのように思う。なのでアレは初夢ではなく、眠りにながらの考え事だと捉えることにしよう。

 

そんな初夢も見なかった朝から僕は末娘と一緒に勉学に取り組んだ。娘の学力診断テストが一週間はくらい後に控えているからだ。

昨年の前半は二人でよく勉強した。しかし、夏前から僕もバンド活動に現を抜かすようになり始め、二人での勉強量はぐっと減った。

トランペットを吹くだけならば色々と時間の調整も出来る。暇を見つけて練習しておけばいいのだから。しかし、バンドの練習となると人との約束事だし、そもそもフルバンというものが20人近くの大所帯なので、都度都度練習日程を調整していられない。個々の都合に合わせていくと収拾がつかなくなるので、数カ月分の練習日程をまとめて決めることになる。

そんなバンドの練習時間と娘の部活が休みになるタイミングがよくぶつかる。娘の部活の顧問も自分が好きだからという理由でやたらに練習時間をとる。他にやることもないのだろう。完全に自分の趣味を部活の中学生に強要する公私混同のクソ公務員だ。

そんな僕たち父娘は昨日はしっかりと社会の勉強に取り組んだ。「しっかりと取り組むこと」と「いい成績が取れること」はいずれ結び付くことなのだろうけど、これには結構な時間が掛かりそうだ。

新年に思うこと

あっという間に2023年が始まったと思ったら、煮染めを食べたり酒を飲んだりしているうちに元日の夜になった。

細かなことは覚えていないのだけど、大晦日〜元旦にかけて見ていた夢は「何だか雨の降る日に部活のような大所帯でどこかに移動をする」という夢だった。そこには職場の先輩とバンド仲間の年上の方を足して2で割ったような人物が登場していたし、その中では僕はえらく年下の後輩部員(というよりも僕がOBで後輩たちは現役の高校生部員くらいなのか?)たちに、雨の中で何かを手助けしてやっている…というようなものだったのだが、ちゃんとは思い出せない。

今夜〜明日の朝にかけて見るであろう夢、初夢では「もっと分かりやすく嬉しい夢」を見たいものだ。

 

さて、僕は夢判断みたいなことは信じない「極めて現実的な人間」だと自分で思っているが、それでも正月になると毎年、初夢のことを考える。

それは睡眠中に脳が考え出した映画のスジみたいなものだから、都合の悪い内容だったら「脳がフザけてみただけ」と捉えればイイ。

しかし、眠って見るそちらの夢ではなく、現実世界の目標に近い方の夢についても正月のうちに考えたおいた方がいいと考えている。勿論、年の途中で目標なんて新たに浮かび上がってくるものだし、途中で細かな軌道修正したりボツにするものもあるだろうから、特に初志貫徹が大切だとも思っていないのだけど…。

去年の正月にに「今年こそラッパを再開しよう」と考えた。一年経った現在、こちらは順調にいっているが、今年はより効率よく練習成果を出せるようにやり方を考え直す必要がある。他の取り組みとのバランスや生活リズムを崩さないやり方を考えねばならん。

 

そして、今年は「MC」についてもそのスキルアップに取り組んでみたいとも考えている。特にどこでMCをやりたいということはないのだけど、ラッパを吹いているとそのステージもあり、そこでのMCの機会も増えてきそうな気がしている。それにはやはり「カッコいいフレーズのコピー」が必要であり、とにかく色々な言い回しを実際に声に出して事前練習しておく必要がある。

ジャズにおけるアドリブソロも僕は同種のものだと思っているのだが、その場で雰囲気に合わせて即興で演奏しているジャズマンのソロだが、何も背景とか準備のないところからいきなり即興でいいフレーズが生まれる訳などない。

セッションでカッコいいフレーズをキメているミュージシャンは過去に何処かで「そのネタを仕入れているか練習するか」しているのだ。勿論、これには程度とかレベルというものがあって、街で聴こえてきたカッコいいフレーズを少し聴いただけで自分の持ちネタに加えることが出来て、セッションの際に適度なタイミングで自分のフレーズとして繰り出せる人もいる。

僕など、カッコいい演奏を聴いてもそれがなんの音かは分からず、苦労して譜面に落としたものの、それ自体を上手く演奏出来ないような有様だ。自分の得意フレーズとして体得して、セッションの際にサラリと出すことなど夢のまた夢のような状態だ。

同じようなことは料理においても当てはまるどこかでパッと食べた美味しいものを自分である程度再現調理出来る人もいれば、美味い不味いは分かっても、ソレが何による美味さなのか分からない人もいる。

いずれも初心者であるうちは何から手を付ければ上達するのかも分からないが、そこが分からぬからと言って何もしないで過ごすことほど愚かなことはない。音楽も料理もセンスは必要だが、ミュージシャンとしてとか料理人として金を稼ごうというレベルではなく、趣味として取り組む範囲のことには努力の方が大切なのだと思う。

これはMCも同じ。さっと気の利いたことがよく出てくるねぇ!と褒められることも昔はあった。そりゃMCとして喋る機会もあったから。そして、それは「さっと出てくるのではない」のだ。あたかもさっと出てきたようにすぐに口をついて出るように普段から「こんな時にはこんなことを喋ってやろう」と虎視眈々とそのチャンスを伺っていたのだ。

この15年くらい、そうした場から離れていたが今年は少しばかりMCの練習にも取り組もうと思っている。