datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

パンガシウス

東南アジアで養殖されるナマズみたいな魚。それが10年くらい前に知ったパンガシウスのことだ。

当時の僕は仕事で流通大手企業と関わっていて、その中でパンガシウスを広く訴求しようではないか…という作業をしたことがある。試食した際に不味い魚だとは思わなかったし、安くて美味しくて便利だと思ったことは覚えているが、その時以来食べたことはなかったので、大した興味は持たなかったのだろう。

そんなパンガシウスが売られているのを見つけた。最寄りのスーパーでは以前から売られているのを知っていたが、アンチョビ味だとかレモン香草風味とか余計な味付けがなされているのだけだった。魚の切身にアンチョビの味をつける…つって「なんだそりゃ?」としか思えない。そのうちにシーチキン味の鮪切身とか鮭の味のする鯖とかが流通するのかも知れない。

先日僕が買ったものは味付けのなされていないシンプルな切身。グラム98円という魚の中では非常に安い価格に惹かれて即購入だった。

数切れ買っていたのだが、初日はムニエルにして食べた。塩胡椒とディル、そしてそれをオリーブオイルで柔らかくソテーする。淡白な白身魚だが旨味もある。安っぽい味だが、事実安い魚なので価格のまんまの味だしコストパフォーマンスという点では相当に高い。

ムニエルにする安価な魚というと、僕の中ではシイラがその代表格だったのだが、東京にやって来てから僕の身の回りではシイラを見ていない。夏になると食べたい魚なのだが、この夏は食べていない。そんなシイラと比べるとパンガシウスは水っぽくて柔らかいように思うが、ゆっくりと熱を入れて丁寧に扱えばシイラよりも好みの味のように感じた。

 

そして、その翌日は天麩羅にした。

これも大当たりで穴子や鱚を上回る美味さだった。…というのは費用対効果という観点によるもので、好きな魚の天麩羅をご馳走してくれるという申し出があったら穴子や鱚や海老の方を選ぶのだけど…。

この日は僕は天麩羅で酒を飲んでいたのだが、息子には酒の途中から天丼をこしらえて食べさせてやった。

僕は天丼を食べていないが、めちゃ美味いのが目で分かる。これは本当に普段の我が家で子供たちに対して多用される「オレの目には味覚が備わっている」なのだが、これは本当だ。天丼は食べていないけど。

そして翌日は弁当にパンガシウス天丼を持って行くというハマり具合。まあ、これはパンガシウスを沢山買っていたから「そいつを美味しく食べよう」という在庫処分的な意味合いもあってのことだったのだけど、やはり美味しかった。

ウチで食べるものと違い、天丼弁当用の添付は浅めに揚げておいた。会社の電子レンジで温めること前提なので、レンジ加熱したらちょうどふっくらと仕上がるように揚げたのだ。

これがまた驚くほど美味しかった。もう穴子とか鱚とかいらないレベル。…と言ってもタダで好きな天麩羅を御馳走してくれるという人がいたら(以下省略)。

…っていうパンガシウス賛美の文章。しかし、本当に美味しく優れた魚だと思った。これは先週の出来事なのだが、これがあったから「数日のイベント出張での貧相なメシ」が辛く感じたのかも知れない。

いや〜、疲れた。

ほんの数日くらいメシなど食わなくても死なん!

それは大袈裟だとしても、数日くらい生活環境が変わったくらいであっても、僕の身体には結構な影響が出てしまうことがよく分かった。

金曜日から昨日の日曜日の夜までイベントの為に出張していた。この間、普段の生活と大きく変わったのは食事。そして睡眠環境、そして熱い風呂に浸からなかったこと。

食べるものと言えば、支給されるスタッフ弁当とかそんな感じのものばかりだったのでカロリーは十二分に摂取したのだろうけど、ビタミンや食物繊維、蛋白質もちゃんと摂れたようには思えない。僅か3日のことだけど…。

そして、睡眠にしても風呂にしても僅かの日数、思うようにならなかっただけなのに、昨日のイベント終わりで疲れがどっと出た。

帰宅する新幹線の中でも眠くて仕方ないのにしんどくて眠れない。夜も帰宅して割とすぐに床に就いたのに、無意識下で「あゝしんどいなあ…」なんて考えながら浅い睡眠をとっていた。そしてしんど過ぎて今朝は5時半に目が覚めた。もっと眠りたいのに!

イベントの間は準備してきたものがカタチになって世に出ていることに興奮して疲れや眠気は感じなかった。イベントが終わった途端に本当にスイッチが切れるというのか「疲れ感知のスイッチが入ったのか」というような有様だ。

今日の昼食は弁当を作って持って行く気力もなかったので立喰い蕎麦屋に行った。熱い蕎麦に葱を沢山入れて食べると「久しぶりにちゃんとしたものを食べた」ような気がした。ようやく滋養のあるものを食べたように思った。立喰い蕎麦なのだが…。

食べるものが工業製品のような弁当であっても大学生くらいの頃は平気だった。しかし、この3日間、そんな弁当が続いただけでこんなに堪えるか?おい、オレの身体よ。…と驚く。

そして、今(月曜日の夜)、僕は熱い風呂に浸かりながらこのブログを書いている。だらだらと汗を流しながら風呂に浸かるのは久しぶりだ。…って、たかだか4日ぶりのことだし、シャワーは浴びていたのだけど。

しかし、熱い風呂で汗を流していると新陳代謝が良くなって体内の疲労物質も汗とともに排出されるような気になる。これがなかったからあんなにしんどい思いをしたに違いない…と真剣に信じるレベル。

 

不便な環境に身を置いても平気で生活出来るタフでラギットな男に憧れて、大学生になって一人暮らしを始めた僕は布団を買わずにフローリングの床で眠る練習をしたり、椅子に座って眠る練習をしたりしていた。多少背中や肩が痛くなっても「こうして今、オレはタフな男に成長している…」と喜んでいたものだ。

今?そんなことする訳ない。大人になりおっさんになり、すっかりと軟弱になったし、快適ではない環境に自分を置くのが可哀想に感じるようになった。これも年を取ったのだから当たり前のように思う半面、若さ由来の馬力が失われたようにも思えて少し悲しくもある。

悪天候続き

9月も今日で終わる。

本当にこの9月は天気が悪いのだが、東京では35日連続で雨が振り続いているそうだ。9月は1日も雨の降らなかった日がなかったってコト?(©ハチワレ)なのだが、35日どころか50日くらいは天気の良くない日が続いている。

中には晴れ間の出た日もあるが、本当に陽射しが足りない。乾燥した気持ちのいい風が足りない。…なんて思っていたら、遂に実害が出た。

我が家での悪天候での実害というのは「塩漬けにした梅が干せず梅干しを作れない」ということが筆頭だったのだが、それを上回る被害が生じた。

息子のクローゼットに吊るしていたジャケットやら棚に並べていた靴にカビが生えたのだ。

少し前に保存している衣類を触ると信じられないくらい湿っていたので、部屋を乾燥させる必要があるとは思っていた。しかし、来る日も来る日も雨が続くので決定的な改善策は取れていない状態だった。…と思ったらカビだ。

クローゼットに入れていて通気性が悪かったものは仕方ないとしても、棚に置いていた靴にカビが生えるなんてどういうことだ?まあ、日々履きまくって磨きまくっている訳でないので仕方ないのか…。いや、それにしても普通の室内にあるものにカビが生えるのには驚いた。食パンじゃないんだから…。

クローゼットにも除湿剤は3つくらい入れていたが、部屋の中のものですらカビるのだから我が家はどれほどの湿気だったのだろうか。

この9月は涼しかったので窓を空けて過ごしていて、ほとんどエアコンをつけなかった。これにより電気代は例年の9月と比べると随分と安くなるはずだ。しかし、それに喜んでばかりいてはダメだった。エアコンを除湿運転をさせるべきだったのだろう。

涼しくても雨が続いていればエアコンが必要。普通に暑ければエアコンが必要…って、心地よい秋の気候はどうなったんだよ!…とイラッとする。って言っても仕方ないからとにかく除湿を心がけよう。

 

さて、今回の画像はAIによる「湿気を帯びまくったビジネス革靴」だ。こんなラギットな部屋ではないが靴自体はモノホンの雰囲気が出ていた。偶然だけど。画を見るのが怖いから「カビが生えたやつ」とは指示していない。

天丼のこと

年をとってきて段々と味の濃いものが好きではなくなってきた。

…とは言ったものの、好みの変化が明確なのはラーメンくらいで、揚げ物欲は全く衰えていない。豚カツだって普通に食べたいと思うし、食べるならロースがいい。そして、この数年は特に天丼を好きになったように思う。

天麩羅と白い御飯という組み合わせは子供の頃から好きだったのだが、天丼という食品というか献立に特に興味がなかったのだろう。だから「近年になってそれを好きになった」というより「近年になって食べる機会が増えた」という方が正しいのかも知れない。

しかし、思い返してみると今から30年くらい前の大学生の時に東京に遊びに来て「てんや」を知って大いに感動し、その頃からてんやの天丼を食べたがっていたのだから、昔からそれなりに天丼を食べる頻度はあったのかも知れない…。

 

さて、少し前のことだが人気店の天丼を食べた。職場から近いところにいつも行列の出来ている店があるのだが、スマホを見ていたらその店の天丼が紹介される動画が流れてきて、ふと行きたくなったのだ。

行列に並ぶのは嫌なので、11時の開店に合わせて早めに店を訪れたら開店前から既に10人くらいの客が列を作っていた。ただ、その程度の人数なので1巡目の案内で店に入りカウンターに座ることが出来た。

烏賊と海老のかき揚げの丼は美味しかった。油の切れも良く上品なちゃんとした天麩羅。御飯も普通に美味しい。

天丼に限らず、和食は全般的に御飯とオカズを味わうものが多い。これは中華料理屋にしても白い御飯とオカズを食べるし、洋食にしてもハンバーグや生姜焼と白い御飯を食べることが多い。オカズの洋の東西を問わず「定食や丼」で白い御飯を食べる…と言うか、それをメシ屋で供する機会は結構多いのに、肝心のこいつを軽んじているメシ屋も多いように思う。

メシがピカピカならオカズに多少の難があっても総合点は上がるはずだし、立派なオカズであってもメシが古かったり水加減が下手くそだとオカズまでダメにしてしまうようで勿体ない。そして「そんなふうに特に美味くもないどうでもいいメシ」を出すメシ屋は意外に多くあるものだ…。

美味しい御飯を出すことなんて、割と簡単に出来ることだと思うし、それにより店の繁盛具合も変わるだろうにそれを改善しない店があるということに驚く。

さて、この日に訪れた天丼屋は当たり前に美味しい御飯を出す店だった。前述のとおり、天麩羅も美味しい。しかし、天麩羅や御飯以上に美味いと感じたのは糠漬けだった。

この糠漬けのことは少し前にもこのブログに記した。僕のウチの糠床がグレた具合を遺憾無く発揮していた時のことなので殊更美味しく感じたのかも知れない。

しかし、そうした比較対象を別としても天丼に糠漬けという取り合わせは実によく合う。天麩羅の油をさっぱりとさせる効果をもたらす点では爽やかな酸味を帯びていて尚且つ野菜の新鮮さを感じさせてくれる糠漬けがいいのだろう。

人気店の天丼と糠漬けを楽しんだ数日後にも僕は池袋で息子と2人で天丼を食べていた。

つくづく天丼が好きなのだなぁ…と他人事のように思う。

そんな天丼ともしばらくは出会わなくなるのだろう。池袋に行く機会はこれからぐっと減るはずだし、職場近くの名店も美味しいのだけど2,300円という値段を鑑みると「美味しくて当然」なんなら「2,300円も払う美味しさだったのか?」と懐疑的になるものだった。度々食べるものではない。

池袋の天丼は1,000円。揚げ油の質からして大衆店のテキトーなものではあるのだが値段相応…と言うか、値段以上の美味しさをもったものだと改めて感じた。

次にいつ、相好を崩してかき込むような天丼に出会うのか分からないけど、折角食べる食事は価格と味と場所の雰囲気を含めて満足出来る物を口にしたいと強く思った。

ビリヤニ作り

カレーを作ることは炊事というより趣味と呼ぶのものだと捉えている。そして実際によく作る。2〜3週間に一度くらいだろうか?よく考えてみれば、そこまでの頻度ではないか…。月に一度くらいであろうか?

さて、カレーはよく作っているが、ビリヤニを作ったことはなかった。名前はよく聞くが作ったことのないものと言えばチーズタッカルビやミラノ風ドリアというものがあるが、僕は朝鮮料理もファミレス飯も好きではないので、それらを作るどころか食べることにも興味はない。

しかし、ビリヤニのように興味深いものだけどまだ作ったことない料理というのも珍しい気がした。

2週間くらい前に作っていたアチャールが残っていた。これを食べるなくてはならんのだが、食べたくなかったのでスパイスと共に炒めた。そして息子が作っていた下宿料理のような肉と玉ねぎを炒めたものも加えてベースを作っていた。これは先週のこと。

そいつでビリヤニを作ろうと思っていたのだけど、ウチにはタイ米がなかった。タイ米を常備している家庭というのもそんなに多くはないはずだ。ウチは上野のアジア食材店でようやく入手してきたので今日の昼食に作ったのだった。

タイ米は湯がいて、ある程度柔らかくなったところでカレーっぽいベースを作ったフライパンと合わせて蒸す。

タイ米は香りがエキゾチックでカレーの味を数段上のものにしてくれる。これは好みにもよるし、カレーの方向性にもよる。純日本風の給食カレーだったり子供のキャンプ料理みたいなものには、もっちりとした日本米が美味いと思う。そんなにパラリと炊けていなくてもいい。

インド料理のサラリとしたカレーにはタイ米がよく合う。タイ米と言うが、タイ風のグリーンカレーにはどうだろうか。ココナッツの香りとタイ米の香りは調和するだろが、グリーンカレーは日本米でもそれはそれで美味しいように思う。

そう言えば、僕が学生の頃「冷夏による米飢饉」があった。僕は実家の親戚が作る米をもらっていたので全く困らず、戦時下の満ち足りた百姓のような食生活(米に限る)を送っていたのだが、タイ米と言えば去年流行っていた「古古古古米」とかの「本来人が食うものではないもの」として扱われていた。

そんなタイ米が日本米よりも高いということには納得いかない。あれはカレーには重宝するが1キロ500円くらいでいいのに…と思う。円が弱くなったからなのか?間で儲けようとする奴が増えたからなのか?理由は知らないが、もっと安いといいのに…。

初めて作ったビリヤニは普通に美味しかった。改善点を挙げると、具材が貧相だったこと。

冷蔵庫の残り物処分で作ったビリヤニベースだったので「グレイビー」と呼べるようなものではなかった。スパイスの芳香と唐辛子による辛味は充分に楽しめたが、具材による味の深さは足りなかった。肉や魚をちゃんと入れると文句なしに美味しいものになったはずだ。

しかし、茹でたタイ米を蒸して作ったビリヤニはパラリとしていてホアッホア(©印度カリー子)で美味しさよりも楽しさが印象に残った。

今日は沢山炊いたので明日の弁当にもビリヤニを持って行く予定。こちらは保存していたチキンカレーを底面に忍ばせて「具材が貧相だったという欠点」を改善したものだ。

度々作るものでも食べたくなるものでないだろうけど、次に作る時にはしっかりと工夫をしてより美味しいものに仕上げたい。

2026年の夏の終焉

9月について、過去にこのブログにも色々なことを書いた記憶がある。

つい最近だと「9月の楽曲」のこと。思い返してみると、僕の経験上、9月に生活環境の変化を迎えたことが多くあったから、平素の生活でのこと以上に変化に富んだことを書いたのだろう。だから「色々なことを書いた気」でいるのだと思う。本当にバラエティに富んだことを書いたかはどうかは確かめていないのだが…。

 

9月という月は暦の上では列記とした秋であるし、お彼岸もあるし、気候も秋めいてきたりするのだが、蒸し暑くて夏のような日も多かったりするので夏の気分が抜けずに過ごしていることが多い。

去年の9月は沼津から東京に引越す作業に忙殺されていた。汗が止まらないような暑い日が多かった。そして3年前の9月は静岡から沼津への引越をしていた。引越してすぐの夜、自転車で夜道を走っていて「あゝ、夏も終わるのだな。50歳にもなるから人生の上でも朱夏は終わるのだな…」なんてことをヌルい夜風にあたりながら考えたことを思い出す。

今年は涼しい日が早くから始まっていたので気候的には秋への気持ちの切り替えは既に終わっていたのだが、夏から取り組んでいたことの2つが遂に終わったので、日々の行動という点で「遂に夏が終わって秋になったのだ」と強く感じている。

ひとつは七夕の夜から続けていた湯島詣で。

末娘の学業成就の為に神に頼るしかないと思いついてこれを続けていたのだが、指定校推薦の校内推薦枠を無事にいただくことは出来た。勿論、まだ合格はしていない。

しかし、ここから先は彼女が面接でしっかりと受け答えするなどの自分自身の努力によって勝ち取るものなのだから、もう道真公にはお願いしない。

学校内で娘より賢い子なんて沢山いるのだけど、その子たちが推薦枠に手を挙げないでいてください…というのが、父親としての細やかな神頼み事案だったのだからご利益は充分だった。道真公、ありがとう!お礼参りに伺わねばならん。

そして毎日チャリンコを使えば往復20分くらい、徒歩なら往復40分くらいを要していたタスクがひとつなくなるということも日々の僕の生活には大きな自由時間をもたらしてくれた。

その時間もさることながら、「行かねばならん」という義務感から解放されることもどれほど大きいことか!なくなってみて改めて感じる有り難さだった。

さて、もうひとつがゴルフのレッスン。

これは完全に僕の馬鹿さ加減により金を騙し取られただけのものなのだが、これも契約期間が終わった。

レッスン自体は実に有意義なものだったのだが、それにかかる費用が僕の価値観の中ではあり得ない程の無駄金だった。ちゃんとリサーチしていれば、あんなところにあんな金を払っていない。

しかし、無駄金を巻き上げられたという悔しさは僕にとっては充分なモチベーションとなり、この2ヶ月は部活の入ったかのようにゴルフ練習に打ち込んだ。2ヶ月そこらでちゃんと上手くなることもなくまだまだ課題は多いのだが、練習をしていくための基礎学力は身に付いたように思う。そして少しだけ打てるようになった。

費用が安くなるならこの教室に通い続けたいな…とも感じていたので、最終日のレッスンは少し淋しい気持ちで臨んだのだけど、そこでも講師から「あれっ?続けないんですか?」という継続を促す言葉に続けてエラく高い価格の説明と「今、やめたら勿体ない」的な人の課題意識につけ込む営業トークが展開されたので、淋しさは簡単にぶっ飛んだ。

危機感や課題意識、後ろめたさを持った人の判断力を鈍らせるのは簡単なことだ。このスクールはそうしたところを武器にして荒稼ぎしているのだろう。

お陰で僕は「これ以上お前らに1円の金すら渡してたまるか!俺は俺で安価な他のところの世話になるなどしてゴルフ練習をちゃんと続けるからな!」…と口には出来なかったが、新たなモチベーションを培って最後のレッスンを終えた。

 

神社に行くこととゴルフ教室の為に池袋に行くこと。他人から見れば本当に大したことではないのだけど、僕にとっては大きなイベントが終わって2026年の夏も完全に過ぎ去り、遂に秋が本格化するような気がした。

暦のうえでの季節はあえて無視するのだが、秋と呼べるのは11月いっぱいまでのことだろう。11月には避けて通れないゴルフコンペがある。そして下旬には参加しているバンドのステージもある。取り組むべきことはまだ残っている。それらをしっかりとこなして、残りの秋を有意義に過ごしたい。