datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

2026年の梅干

晴れた気持ちのいい日が続いている。昨日は結構な蒸し暑さだったが、9月の長雨による湿度と比べれば比較にならないほどの心地よさだ。

この2〜3週間、カラッとした気候が続いているのだが、しばらく前に僕は梅を干した。干した初日のことはこのブログにも記したのだけど、その後の梅干しの成長について書いておく。

 

…とここまでの文章を書いたのは先週のことだった。先週まではよく晴れていた。これを打ちながら眠ってしまい、書きかけの文があることもすっかり忘れていたので、続きを記しておく。

干した日の梅。乾燥した空気のせいで驚くほどのスピードで乾いていく。

1日半干した梅。既に梅干しの風格をたたえている。

そして三日三晩干した梅。既にイッちゃっている。今年漬けた梅とは思わぬほどの老け具合であった。

そう、10月の乾いた空気のもと、直射日光にもガンガンにあてて干した梅漬けは僕の求めてきた梅干のレベルを凌駕する「干し具合」となった。

ジューシーさは随分と失われ、完全に保存食としては数年放っておいても平気なレベルへと仕上がってしまった。こりゃいかん…。と梅干に潤いを取り戻させるべく、再び梅酢の中へと漬けておいた。

もともと塩分濃度は薄めに漬けたものなので、少々塩っぱく仕上がってもいいだろう。

数年前から漬け始めた梅干だが、年に一度のものだ。別に年に2度漬けてもいいのだろうが、梅が出回る時期のことを考えると年に一度になる。二瓶とか三瓶を一度に漬けることは出来るのだけど…。

僕が一生のうちに梅干を漬けるのはあと何回なのだろう?何度も繰り返すことの出来ることには何回ものチャンスがあるが、挑戦出来る機会に限りがあるものこそ大切に接しなくてはいかん。

そんなことは梅干のほかにも沢山あるのだけど、気付いたことからやっていこう。疲れない程度に。

ケチらずに食べること

今週のお題「わたしの贅沢」

 

日々の食事で洋食を食べる機会が減った。

厳密に言うと、ウチで炊事をして食べる際に洋食が食卓にのぼることが少なくなったのだ。外でフライの定食を食べたてみたりカレーライスを食べたりするのだから、洋食に接することがなくなった訳ではないが、自宅でのその頻度は減っているように思う。

ならば何を食べているのか?というと志那料理や朝鮮料理が増えた訳でもない。まず僕はキムチすら食べない。好きではない。

大した料理でなくとも、やはり和食を食べると落ち着く。そして先日息子に指摘されたのだが「和食を支度したり食べている時の僕はやけに嬉しそうにしている」とのことだった。その味だけでなく、ちょこちょこと食べられたり、熱を逃しても美味しく食べられるものが多いという点で和食が我が家の食卓(酒を飲む僕の嗜好)に合っているように思う。

さて、ここで「お題の贅沢なこと」について書こう。和食…と言っても、僕のウチで食べるものは懐石料理のようなものではなく何ということもない家庭料理だ。お浸しとか煮染めとか味噌汁とか。贅沢と縁のある献立なんてウチではそんなに出てこない、つか僕が出していない。

しかし、ついこの間、贅沢さを感じる食材に出会った。

写真は数日前の味噌汁であり、これは嘘出汁(粉末の工業製品)と玉葱とじゃがいもと油揚げという全く贅沢とは言えないものだ。この奥にある七味が贅沢な香りだった。

僕は何年も七味を手作りしている。その方が香りがいいから。しかし、この味噌汁を食べる前夜に挽いた七味が物凄く美味しかった。

材料は山椒、柚子の皮、パリパリに乾燥した紫蘇の葉、青海苔、白胡麻と黒胡麻。これでは七味には足らず六味なのだが、これに唐辛子は別に加えて食べる。唐辛子の辛さは人によって適量が異なるので一緒に混ぜない。たまには材料が足りず四味とか五味になることもあるし、生姜を加えて八味になることも極稀にある。

これは特に変わったことでもないのだが、挽きたての七味は信じられないくらい香りがよく、食卓の反対側にいる息子が僕が味噌汁に七味を振りかけるストロークだけでその香りに驚いたほどだった。

何ということもない味噌汁がめちゃめちゃ美味しいものになることに父子してぶったまげた。七味には香りと辛味などの風味があるだけで、特に旨味は含まれていない。なのに、嘘出汁の味噌汁は丁寧にとられた出汁で作ったものなのかと思うくらいに美味しかった。

これの前の七味が切れたから新しく作ったものだったが、一年前に東京に越してきてからは新たに作った記憶がなかった。とすると数日前まで食べていたものは1年も前に作ったものだったはずだ。それが不味いとは思わなかったが、新しいものの香りを知るともう戻れない…。

食べ始めたばかりで、まだ瓶いっぱいに残っている七味(厳密には六味)なのだが、これがなくなることが既に淋しく感じられた。

…って、この美味しさは「挽きたてであること由来」なのだから、ケチケチせずに美味しいうちに食べてしまい、なくなったらまた挽けばいいだけだ…と思ったのだが、柚子の皮がないのではないかと心配になった。あと、山椒もこの初夏に買ったものは全て醤油漬けにしてしまったのでこれもない。

…と思いながら台所の引き出しを探したら乾燥させた柚子の皮を瓶に詰めたものが見つかった。「偉いぞ!昔のオレ」と自分を褒める。山椒の実は来年まで手に入らないから乾燥したやつを買ってきて挽けばいい。

どれも大した値段のしないものだが、香りのいいうちに食べ切ってしまう。なくなればすぐに作ればいい。これは僕にとって贅沢を感じることなのである。…とは言ったものの貧乏くさい僕にとって豪快に使い切ることも難しいのだけど…。

 

追記:そう言えば、この日の味噌汁には玉子も入れていた。豪華版だ!…って、味噌汁に玉子を加えたくらいで贅沢に感じるのも貧乏くさくてダサいと思うのだけど、そう感じてしまうのだから仕方ない…。

お前にはその資格はない

昨日は日比谷で息子と一緒に映画を観たあと、銀座のデリーに行った。

デリーで食べるべきものはカシミールカレーなのだが、ドライカレーも美味しい。昨日は息子と2人だったということもあり、カシミール2つとドライカレーという糖質過多の注文をした。

ドライカレーは辛くなくマイルド。多くの具材が入っていて美味しいので、息子にも食べさせたくて注文した。しかし、マイルドさ故にパンチに欠けており、なんだかのっぺりとした味のように感じた。起伏がないと言うのか、単調というのか…。

これに対してカシミールは語るまでもない程のパンチぶりで、滝のような汗を流して美味しくいただいた。

汗は食べる前…店内に入り15分くらい待ったのだが、その間に「今日はカシミールを食べるぞ」と考えている段階で額や鼻に汗が滲んでいた。なんなら、このブログに「カシミールの写真を載せたり文字を売っているだけ」で汗をかき始める状態だ。

昨日もシャープな辛さに舌鼓を打ったが、隣にはおっさんの2人組が座っていて、そのうちの1人は沢山のカレーを残していた。ライスは全部食べていたのでカシミールが辛過ぎて食べられなかったのだろう。

辛いのが苦手な人は食べられる訳もないレベルの辛さなのだが、その辛さを知らなかったのだろう。仕方ないことかも知れないが「残すならカシミール頼むなよ、おっさん」と強く思った。…って、僕と同じ齢くらいのおっさんなのだが、連れのおっさんもメチャ辛いことを教えてやれよ。その店の看板料理を頼んでおいてそれを残すということは相当にダサいことだと思う。

 

さて、デリーのカシミールを楽しんでいたら、別のつまらんカレーのことを思い出した。3週間くらい前のことだが、僕は牛丼チェーン店松屋でカレー食べたのだった。

これもカシミールカレーという名前のものだった。

見た感じは黒っぽくてサラリとしたカレーでモノホンのカシミールを彷彿とさせるものだったのだが、こいつはとんだ食わせ物だった。

カツも乗っていて更には味噌汁まで付いてきて本家のカシミールより安いので、ボリューム満点でお得なメシのように思うし、特に不味い訳でもない。しかし、カシミールではないのだ。

カシミールカレーというものは一般名詞なのだろうか?カツカレーやインドカレーという言葉と同じように…。

しかし、僕にとってのカシミールカレーはデリーのアレのことだ。以前、恵比寿の東京ボンベイというカレー屋でカシミールを食べたことがあるが、それは完全にデリーのカシミールの血を引いたものだった。それに対して松屋のこいつはカシミールと名乗ることも恥ずかしいほどの出来栄えだ。特に辛くもないしキレ味もない。

カシミールカレーという言葉が一般名詞であろうが、商標登録されていないものであろうが「お前は名乗るな!」と厳命したい。メシとしてダメなものではないのだが、あの名前を使っていい方向性の食物ではない。

モノホンのカシミールによる汗を拭いながら、カシミールの名を騙るつまらんカレーのことを思い出してしまった。そして、今日はブログを書いただけなのに顔中に汗をかいている…。

秋の鍋

この10月は土日に仕事に出ることが多かった。それはそれで別に特別なことでもないのだけど、単純なデスクワークでの残務処理とかではなかったので疲れている。ということで昨日は代休をとった。

朝からゆっくりと熱い風呂に浸かり、病院に行ったり買い出しに出掛けたり。いずれも大したことではないのだけど、このところ疎かになっていたことを一つ一つ拾って行くような休日となった。

夕方、八百屋に行くと目を引く食材を幾つか見つけた。八百屋に行くという行為も全く普通のことなのだけど、2週間ぶりくらいだろうか?随分と久しぶりのことのように思えた。

昨日は朝のうちは陽も出ていたのだが午後からは雲が増え、夕方には気温も下がってきた。数日前に30℃近くになる暑い日があったせいで随分と涼しく感じる。寒いというような気温ではないのだが、暑くも温かくもない「秋の中盤以降」を感じさせる夕暮れだった。

そんな昨夜の食事は鍋物にした。

21時過ぎに帰宅した息子と湯豆腐を食べた。湯豆腐を食べるのは今シーズン2度目なのだが、そいつを美味しいと思うようになるといよいよ秋が深まってきたことを感じる。

豆腐を幾つか食べた後に、別の鍋で火を入れておいた鶏と今シーズンの初物となる芹を加える。

芹は非常に好きな食物なのだが、東京では良質で安価なものがなかなか見つからない。これは非常に悲しい。

まずやたらに高いし、量も少ないし、鮮度も良くなくくたびれたようなものを見かける。そのせいで昨年の芹接触率は前年の50%くらいに落ち込んだと見ている。いや、もっと落ちているかも知れない。

昨日の芹は一把198円だった。これは滅多に見ない廉価である。二把の芹は簡単に食べてしまうのでキャベツや大根と比べれば割高なのかも知れないが、それが我が家の食卓にもたらしてくれる喜びを思えば安いものだった。

鶏と酒と塩のシンプルな味付けに芹の香りと歯ごたえが生きる。美味いものだと想像していたが、それを遥かに上回る美味しさに僕たち父子は驚いた。

大変に美味しい夕餉だったが、残念だったのは息子が芹を視認出来なかったこと。あろうことか「春菊?」などという始末。昨夜は「お前のような馬鹿はこの一年芹を食わんでいい」と命じたのだが、あまりに美味かったので特別に許可して食べさせてやった。

何度も食べている食材だし、本人も芹好きを公言している「食材先生」に対して失礼が過ぎる。そして春菊と間違えるなんてあり得ないことだ。こんな馬鹿には芹を食う資格などない。

ちいさくもなくて、かわいくもないやつ

数週間前に買ってきた米が何者かに盗み食いされている。そのことはこちらにも記した。

想像はしていたし、一応AIにも意見を出させたところ、その正体はやはり鼠の可能性が高かった。…ってそいつの逮捕に至っていないので正体を掴んだ訳ではないが、ほぼ間違いなく鼠の仕業だった。

ならば…ということでベタベタのトリモチシートを買ってきて米の袋の周囲に設置して1週間が過ぎたのだが、未だに下手人を捕らえることは出来ていない。

こうして動物と対峙するとシートン動物記のことを思い出す。小学生の頃に読んだ「狼王ロボ」では罠の仕掛け方の攻防に息を飲んだ。そこまで大掛かりなものではないのに、僕はあたかもシートンになったような気持ちで臨んでいるのだが、何者なのか正体を掴むことすら出来ずにいた。しかし、一昨日の夜、明確な痕跡を見つけてしまった。

この夜、僕は名古屋への出張の後で職場に出社してデスクワークをこなしてから帰宅した。クタクタに疲れていたのですぐにでも風呂に入って眠りたかったのだが、帰宅して電気を付けたリビングの米の袋の周囲になにやら黒いものが落ちているのを見つけた。これが鼠の糞だった。

僕のウチはおっさんと兄ちゃんの男2人暮らしであるが、それなりの頻度で掃除は行っており清潔を保っている(と思っている)。鼠が現れる要因といえば、米の袋が特に厳重ではない状況で置かれていることと換気のために窓を開けていることだが、これが鼠を招き寄せるには充分な条件だったのだろう。

この日は息子は遊びに出掛けてウチに戻らなかったし、翌朝(昨日のことである)は早くから福島出張だったので特に手を打たず、息子にその対策を命じた。

息子が頼りにしているAIに相談したところ、割とデカ目のやつが我が家に住み着いているのではないかとのこと。昨日の僕の出張中に息子は台所やリビング、個々の寝室まで確認をしたが台所に数点の糞があっただけで鼠の姿も他の痕跡も見つけることは出来なかったそうだ。

 

そう言えば、僕の息子は愚直にAIで知ったことはそのまんま「AIはこう言ってるよ」と出典を明らかにして情報共有をしてくるのだが、世の中にはその出典を明かさず、さぞかし苦労して調べ上げた情報かのように自分の手柄にする人が多いのだろう。

まあ、AIなんて人が楽をするための道具なのだから、そいつを使って楽をしてそれを自分自身の手柄にすることこそが「道具の利用価値」である。

しかし、最近、AIで整えたことが丸わかりの企画書とかメールの文章を見ることが増えたので、そうしたものに少しうんざりしている。よく出来てはいるが画一的で味のない市販品。個性や独創性は感じられない工業製品。そんな感じがするのだ。

世の中に化学調味料が出てきた時、誰でも簡単に美味しいものを作られる…という期待感は大きかっただろうし、それを自分の料理の腕前かのようにひけらかした人もいただろう。

今のAIでまとめた効率化は化学調味料と同じようにこの先ずっと人に頼られるものだろうけど、そこに「プロセスの立派さみたいなものは存在しない」ということを忘れてはならない。汗水垂らした苦労に話のネタとしての価値があるということもある。時間をかけずに結果はもたらしてくれるので僕も利用するのだけどね…。

 

閑話休題。鼠対策としてトリモチシートを増やした。そして、窓は閉じて鍵もかけるようにした。各部屋の扉も基本的には閉めて置くようにした。

AI先生に指南を受けた息子は殺鼠剤を買いに行ったが、近くのホームセンターには売られていなかった。そう言えば、僕のウチの周りは多少の飲食店はあるが繁華街でもなく、どちらかと言えば「静かな住宅街」なのだが、鼠をよく見る。

夜、ウチの近くの道を歩いていると鼠が道を横切ったり走っていくのが見えるのだ。繁華街ほどではなくても、人の多い都会は鼠にとっても盗み食いする食材が多いはずだから、都会の方にこそ鼠は沢山いるのかも知らない。

我が家にいるかも知れないやつは「なんかちいさくてかわいいやつ」ではない。割とデカくて凶悪なやつと推測される。「仲良く喧嘩する」ことなど出来ないので、しっかりと追撃して仕留めてやろうと思う。

先週食べた御馳走のこと

秋だ。それも深い秋だ。涼しい…というより、ともすると朝晩は肌寒さを感じるような気候になった。

このところ忙しく過ごしているのではあるが、先週は仲のよい舎弟を自宅に招いて秋の御馳走を食べた。僕にとってのこの時期の御馳走の代表格が鮎なのだが、本当に美味しかった。

日本有数の美味い鮎が獲れるとされる清流の品だ。パリッと焼いた皮とその香り、そしてほろっとした身肉の美味しさは格別だったし、この時期に今年も無事に鮎に舌鼓を打てることを本当に嬉しく思う。

この日はお客である舎弟もやった来たので鮎の他にもいろいろと御馳走を食べた。

漬物やら佃煮やら金平やらけんちょうなど。これらは「いつもの食卓メンバー」なのだけど、主役が変われば殊の外、美味しく感じる。そして、鮎を賞味したあとには燻製も食べた。

この燻製は夏前に燻したものだし、特に「秋の味」というようなものでもないのだが、友と楽しめばその旨さも数段引き立つように感じた。

華美で分不相応な御馳走は好まない。大した献立でもないが、僕にとっては華美な食物を並べて片っ端から酒とともに味わう楽しい夜だった。

たまにはこういう食卓もいい。口が奢らないように気をつけつつ、日々の食卓を大切にしたい。外泊や外食が続くとそうした「日々のなんでもないメシとかちょっと奮発したもの」をとても愛おしく感じる。

つまらん弁当のこと

一昨日と昨日は名古屋にいた。今日は福島での仕事のため、朝から新幹線に乗っている。そして、このブログもその新幹線の中で書いている。

新幹線も大宮を過ぎると「非日常的な郊外にやって来た感」を感じる。普通の都市部が続くのだけど高層ビルは随分と減る。そして見慣れない風景の中に緑の割愛が少しずつ増えてくる。すると、俄然「旅に来た」という気持ちが湧いてくる。

これが西に向かう列車の場合、新横浜を越えたあたりから風景による郊外感は漂ってくるのだろうけど、東海道新幹線には乗り慣れていることもあり、低層住宅群を見ても緑を見ても海や山を見ても「旅に出た感」は沸かない。いかに非日常的な光景が気持ちを高めるのかがよく分かる。

今朝はお腹が空いていたので、新幹線に乗り込む前に駅弁を買った。このところ、コンビニでテキトーなものを買い食いする癖がついていて、それにより体重の減少加速も止まったようだ。心地よく過ごす生活習慣というのも割と簡単に崩れてしまう。

今夜ははダメで駅弁はいいのか?というと両方同じような工業製品のメシなのだけど、まだ駅弁の方がマシなような気がしたのだ。

上野駅の在来線改札内で買ったのは幕ノ内弁当。唐揚げ弁当とかトンカツ弁当みたいな単品のオカズとメシといつ弁当が沢山あったが、いろいろなオカズの入ったものは僅かの種類しかなかった。これで1,700円。もう少し綺麗なものは2,000円だったので、高いけどそんなものか…と、こいつを買った。

弁当を手に持って新幹線の改札を通るとすぐその先に別の弁当屋があった。ここはJRの駅販売専用の駅弁を扱う店ではなく、一般の弁当の中で駅弁っぽいものを売っている店だった。

既に弁当を買っているので必要ないのだが通り過ぎる際にショーウインドウを見てみると、僕の弁当よりも上等なものが1,200円で売られていた。そっちの方がちゃんと美味しそうだし500円も安い。悔しく思ったが、上野駅の弁当屋配置を把握していない僕の無知ぶりが招いたことなので仕方ない…。

新幹線が進み始めてから食べた弁当は普通に美味しかった。鮭の塩焼きや鶏の味噌焼き、野菜の煮物などごはんのすすむオカズがいろいろありコンビニの弁当とは違うように思った。しかし1,700円。そして工業製品。

昔はこれと全く同じような幕ノ内を1,000円で買えていた。1.7倍の値上がりに対して多くの人の所得はほとんど変わっていない。僕の所得も年功制により上昇はしているが、これは単に若い頃の労働対価の後納分なので別に僕の所得が上昇したとは見做さない。20年前のおっさんは20年前の「今なら激安とされる物価」の中で今の僕と同じお金を手にしていたのだから…。

 

その味に満足はしつつも価格を取り巻く状況を考えると、とてもみすぼらしい気持ちになる弁当。別に粗末なものを食べている訳でもないのに…。

これならコンビニの工業製品の方がマシだったのかも知れない。…いや、コンビニの弁当を新幹線で食べたりするともっと惨めな気持ちになるぞ…。そんなことを考えていると目的地の福島も近くなった。