数日前、商談で出掛けた青山周辺を歩いた。

17時くらいに青山学院の南側から表参道方面に向かうと大きな月が出ていた。この日の月はやけに綺麗に見えた。写真で見れば大したこともないのだけど、街の中で見えた月をわざわざ写真に撮ることなど滅多にない。
昔からこの辺りで買うものなどないのに「そこを歩いているだけでお洒落になった気がする」ので、表参道とか南青山あたりを歩くのが好きだった。

プラダの前を通るとクリスマス仕様なのかどうか分からないが、実寸大の車の模型(?)のオブジェが飾られていた。夕方の暗さの中では照明の具合も映えて見えて綺麗に感じたが、僕はプラダで買うものなどないし、こうして目にする飾り付けも昔ほどワクワクしないものになっていることに驚いた。
その後も青山周辺を歩いて幾つかの店に入ったりしてから会社に戻ったのだが、僕が買いたくなるものは青山界隈では殆ど無いということに改めて気付いた。
昔から買物することなどあまりない街なのだが、それでも欲しいと思うものは沢山目にした気がする。今でも綺羅びやかなものが揃えられた店が立ち並んでいるが、そうしたものを買いたいなとか手に取って見てみようという気持ちが随分と薄れていた。
これを良いように言うならば「大人になって物欲の分別がついてきた」「身の丈に合うモノへの選球眼が養われた」とでも言えるのだろうが、ワクワクする気持ちとか好奇心とか…「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の歌詞を思い出していた。
君はある時何を見ても何をやっても
何事にもかんげきしなくなった自分に
気が付くだろう
そうさ君はムダに年をとりすぎたのさ
若い頃は意味もなく気持ちが昂ぶっていた場所を歩いてもなんだか寂しさを感じる度合いの方が大きいような気がして、それがまた寂しかった。

表参道のイルミネーションも綺麗ではあるが、昔のようなワクワク感は無い。なぜ若い頃(…と言っても数年前まで…)はクリスマスのイルミネーションを見るだけであんなに嬉しくなれていたのだろう。
クリスマスというイベントの商業主義的な虚しさや卑しさを知ってしまったからだろうと思うことにしよう。「ムダに年をとりすぎた」とは思いたくないから。