散歩の途中で何かを食べたくなる

今日は昼には雨が降り始めるということだったので、朝から曇り空で尚且つ気温も高くはなかった。

「陽春の散歩日和」なんて雰囲気ではなかったが、朝から娘と二人で散歩に出掛けた。高校生活を部活と後半は勉強に明け暮れた娘と散歩をするのは数年ぶりのことだった。

「今はこの建物が建っているこの場所も昔は○○だったね」とか「この店に10年以上前に来たな。その時は末娘がスポンジボブの玩具をわざわざ持参してたよね。メシ食べに出掛けただけなのに…」とか、「ここのお堀で甲羅干ししている亀を昔はよく数えて歩いたが、今日は一匹も見えない」とか、本当になんということもない話なのだが、僕たち父娘にとっては楽しい時間だった。

 

僕も大学に合格して実家を、そして生まれ育った町を出て行くことが決まってから、いつもの犬の散歩コースを勝手に変更して小さな田舎町を眺めながら、新たに移り住む街への大きな期待と田舎町へのちょっとした淋しさを感じていたことを思い出した。これももう31年も昔のことだ。

 

町を歩き、スーパーで安売りの野菜を買い求めたあとでサブウェイに寄りサンドウィッチを食べた。この一年以内に末娘とは一緒に食べたはずだが、長女とサブウェイに来るのも数年ぶりのことだった。

サブウェイのサンドウィッチなんて全国画一的なものだし、何なら世界画一的なものなのかも知れない。特にこの町で食べなくとも、その味はいつだって味わうことが出来る。

しかし、単純な品物の品質とか価格でのお買い得感ではなく、それがファストフードのサブウェイであっても「過去に楽しい思いをしたことの記憶」を反芻することが出来るならば、そうした行為も特別なものになる。

味やコストパフォーマンスとは関係のない「僕たち父娘がサブウェイに来なくては反芻出来ない味わい」というものもあるのだ。イイ散歩、そしてイイ食事だったと思う。