5月は「Go」

気が付くと5月もまもなく終わる。

と言ってみたが、5月があっという間に過ぎていっているのは、既に5月上旬の頃から感じとり、気が付いていた。

更に言うと、4月もあっという間に過ぎていったことをひしひしと感じていたので、これらに「校長先生理論」も合わせると、年が明けてから「あっという間に過ぎ去らなかった月」など無いのだ。そう思うと、インフルエンザで寝込んでいた正月もついこの間のことのようだ。


さて、月日の経過が早く感じるのは年齢を重ねたところに依るところが大きい。一年が経過したな…と感じとる際に、受け止め側の年齢分母が大きくなるのだから当たり前のことだろうと思う。


しかし、それ以上にこの4~5月についてはコロナフィーバーによるものが大きいと捉えている。ここでの「フィーバー」は発熱することではなく、コロナにより人々が冷静さを失ってフワフワとし行動を取るような「熱狂状態」のことを指す。

僕においてはこの「コロナフィーバー」のお陰で、ゆっくりとした春~初夏を有意義に過ごすことが出来て、あっという間に素晴らしい時が過ぎていた感じだ。


「自粛でストレスが…」「コロナが落ち着いたらアレをやろう、コレをやろう」「仕事が休みでお金がなくて遊べない」みたいな話を沢山聞いた。

ストレスが溜まるのも、色々なことを自由にやりたくなることも、お金が足りずに窮屈な思いをするのも否定しない。そりゃそうだろう。普段と異なる環境下では不快に思うこともあるだろう。

しかし、それらがイコールで「つまらなく意味のない時間」を過ごすことと思っている人もいるようだ。


外出を控えることを「押し付けられたストレス」と捉え、その事を文句ばかりを言い、挙げ句の果てには他人の行動監視をする人間。

片や、自由に動けるようになればやりたいことを整理し、今出来ることにしっかり取り組み、それなりに前向きに過ごし続けることの出来た人間。

この二人が、それぞれのスタンスで生活を続けていくならば、その人の生活、もっと大袈裟に言うならば、その人の人生には大きな開きが生まれだろう。しかし、世の中の人々がどちらのタイプに属するのかが、その人の過ごし振りと満足度を観察すれば、その行く末がよく分かる「とても面白い期間」だったのだろう…と去り行く5月に思う。

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ゴールデンウィーク明けに飾った「兜と菖蒲」の手拭い。これも5月の終わりに合わせて別のものに代える。別の機会に記すが、手拭いをインテリアのひとつとして飾るのは好きだ。