お盆

盆の入である。
盆とはそもそも仏教儀式だから、仏を信じない人には関係もないことだけど、日本では会社が休みになったり、盆と正月は…なんて言葉が生活の中でも生きていたりして、その存在感は割と大きい。

基督を信じなくても、鶏肉を食べて幸せな気持ちになってみたり、秋の恵みに感謝しなくとも変な格好をして乱痴気騒ぎをするのが好きな国民性だから、日本人には意味など希薄であっても、なんかの行事があることが大切なのだろうと思う。



僕の実家の実家(おじいちゃんやおばあちゃんのいたところ)は相当な田舎であり、名ばかりの仏教徒でもあるが、その実家は、お盆を迎えることについて大して行事としての重きを置いていなかった。

おじいちゃんが亡くなった年は盆提灯とかも出していたが、その他の年においては別に迎え火やら送り火を焚いたのを見たこともないし、子供の頃から特にお盆だからと言ってご先祖様を敬うようなことも記憶にはない。


親戚のおじさんやら従兄弟たちが本家である僕の田舎には帰省していたから、何らかの「ご先祖様リスペクト行事」があったのかもしれないけれど、本当に「盆だからご先祖様を…」みたいなことは無かったと思っている。

それでも親戚が集まると、少なからず昔話や故人の話も出るし、名ばかり仏教徒と言えどもお墓参りや仏壇への線香はあげていたのだから、一応故人やご先祖さまを偲ぶ行事にはなっていたのではあろう。


f:id:datetaira:20200813122657j:plain
中学1年のころに読んだ「鉄腕アトム」の話の中にお盆の描写があった。お盆という風習を懐かしみながら、未来の世界でも故人を偲ぶことの温かさを描いた物語だった。そのシーンは今でもよく覚えている。

人が集まり、温かな気持ちになること。
背景にあるものが宗教儀式であろうが、商業行為であろうが、その温かさ自体は大切にしなくてはならない。