先週のことだが、テーブルを新調した。
長い時間をともに過ごす家具というと、ベッドになるのだろうが、酒や食事を伴って他の人間とも空間を共有する意味で、テーブルの存在はとても大きいと思う。
気持ちが惨めにならない、そしてそれに接することで前向きになれるようなテーブルが生活を豊かにする。
そんなことを思いながらテーブルを新しいものにしたのだが、これは10年近く前から狙っていたものだ。実家のある田舎の山の中に生えていた栗の木。大きさから判断すると100年どころではない樹齢のもののようである。
これが10年前に枯れたため、斬り倒されていて、荒く板にしたものが実家の軒下に転がされていた。
昨年の秋に実家に帰ったときに、サイズを図り、テーブルにするためにもらい受ける話を両親にしていたのだが、引越しとかあったので、それが落ち着いたこの段階で栗の板が我が家にやって来たのだ。
息子に搬入を手伝ってもらい、先週から今週にかけて、サンドペーパーで磨き、植物性のオイルを塗布して乾かし、ようやくテーブルとして心置きなく使える状態になった。
僕のルーツとなる某地方の田舎の村。
そんな田舎の山で長い時間をかけて育まれた木を使った板が僕の生活を支える。何代にも渡るご先祖様たちが力添えしてくれているようにも思えるし、このテーブルに触れる度に「遠きにありて思う故郷」を感じさせてくれる。