ウエストサイド物語の思い出

昨夜、中学生の娘と一緒に「ウエストサイド物語」のDVDを観た。


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僕はこの作品をとても好きで、この10年は年に1回くらいの頻度で観ている。もっと多く見ることもある。

小学生とか幼稚園くらいの時に僕の母親がこのサントラをウチでかけていたのが「ウエストサイド」の最も古い記憶になる。

当時は英語の変な歌…くらいにしか捉えておらず特に好きでもなかったのだけど、中学生になって入部したブラバンでこの作品の簡易版のブラバンアレンジの曲をやっているのに接して「いいメロディだな」と認識した。

そしてそれと同じ頃、NHKのBSで放送していたやつをビデオに録って見始めたのがこの映画との出会いだ。

以来、僕はこの作品に惹きつけられビデオを何度も観たし、高校生の時には劇中の「トゥナイト」とか「マリア」を口ずさみながらチャリンコ登校するほどだった。

僕が高校生活を送った1980年代後半であろうが「ウエストサイド物語が名作である」ことには変わりないのだけど、当時特に流行っているものでもない。「マリア」を口ずさみながら登校する僕の姿は相当奇妙な高校生に見えたことだろう。


そんな高校時代の「ウエストサイド熱」に拍車をかけたのことの一つが「音楽の授業でトゥナイトが教材になったこと」である。真相を確かめた訳ではないが、当時の音楽担当だった八木先生が個人的にも「ウエストサイド」を好きだったからに違いない…と僕は思っている。

音楽の時間に英語歌詞のトゥナイトを数時間に渡って歌ったお陰で、僕はトゥナイトの歌詞をすっかりと覚えた。今では大分忘れてしまっているのだけど…。これにより「登校中に雰囲気で歌っていた鼻歌トゥナイト」もちゃんとした歌詞で歌われるようになったし、マリアについてもそれなりに英語のヒアリング能力も向上してくるものだから、わりとモノホンの歌詞で歌うようになっていた。

「ウエストサイド熱」のギアを一段上げた僕は、今度は自分でこの楽曲を演奏しようと試みた。ブラバンの仲間を集めて金管アンサンブルで「ウエストサイド物語」の数曲を演奏したのだ。

当初は拙い耳コピーによる採譜のものを演奏していた。しかし、音楽理論も分かっていない高校生による採譜アレンジはところどころに和音が怪しいところもあり、後には当時としては高いお金を出して海外の譜面を買ったりもした。

それだけでは飽き足らず「前述の八木先生」に頼み込んで、金管アンサンブル用のアレンジを書き上げてもらったりした。この間の「僕のマキ」はひどかったようで、当時の八木先生が「お前が夢にまで出てきて『先生、譜面はまだですか?』と催促してくる。もう少し待ってくれ。」と言われたことも覚えている。