菜の花汁を食べる夜

タイトルの「菜の花汁」は「菜のカジュウ」ではなく「ナノハナジル」と読む。これは僕による造語である。今夜は分不相応に雅やかな響きのするかくなる汁物を啜り、いつもの安ウイスキーを飲んでいる。

 

休日の今日は朝から雨が降っていてなんだか寒々しい一日だった。それでも立春を迎えたこともあり、なんだかこれから少しずつ暖かくなっているような春を迎えるような気持ちで過ごしたのだけど「経験則として一番寒いのは2月」と僕は信じているから、まだ一月余りは寒い日が波状攻撃のようにやって来るのだろう。

さて、話題を「やけに雅やかな響きのするナノハナジル」のことに戻そう。

写真を見れば分かるのかとも思うが、今夜僕が食しているナノハナジルは「なんのことはない、菜の花を入れた豚汁」なのだ。ただ「菜の花入りの豚汁」と呼ぶのがそれにとって相応しいかというとどうもそんな気がしない。やはり菜の花が主役のように感じるのだ、僕にとっては…。

こいつのベースとなる豚汁は数日前から菜花を茹でて食べていて、そしてその茹で汁にしゃぶしゃぶ用の豚肉を加えて菜花と豚の常夜鍋みたいにして食べていたし、昨夜はその残り汁に田芹を加えて再び芹を加えて、これまた常夜鍋のようにして食べていた汁物である。

この鍋物(と呼ぶのか?の汁物?)は何度も火を入れ直しているのだから、当初は汁の中に溶け出したであろうビタミンなどの滋養成分も熱により破壊されていて、この汁には特段の栄養素なんてものは残っていないのかも知れない。

しかし、僕は菜花の茹で汁の出汁加減というものを高く評価しているので捨てるに忍びなく、最終的にはこのお汁(オシルとは読まないよ!)を全て平らげたく、昨日の昼前に大根やら人参、そして随分前からウチにある牛蒡を笹掻きにして豚汁を仕込んでおいたのである。

今日もゆっくりと湯に浸かり、外がすっかり暗くなってからウイスキーを飲もうと夕餉の支度をしていたのだが、先週の宴会向けに買っていた食材がまだ全て食べきっていないことを思い出した。

先週、良質の八百屋で買った野菜は僕が書斎と称している部屋に小さめの段ボール箱に入れて放っているのだけど、そいつを確認してみたら一週間のうちに菜の花が満開となっていた。

窓を半分開けて相当寒い状態にしていたのだが、植物の生命力は素晴らしいもので、ついに立春を迎えたからなのであろうか、先週はほとんどが青い蕾だった菜花も大半が黄色い花びらを開かせていたのだった。

食意地の張った僕が招いた「買い過ぎの弊害」そのものなのである。しかし、この菜花を捨てるのはあまりにも勿体無く、こいつを今夜〜明日にかけて食べようと思って仕込んでいた豚汁に加えたという訳だ。

菜花というものはそのほろ苦さと、茹で汁に信じられないほど溶け出てくる淡いけれど確かな出汁のような旨味を楽しむものだと思っている。動物性の旨味の強い豚汁にはそれにも負けない根菜の甘みもしっかりと染み出してきている。

さり気なく見えても相当に濃い演技をぶち込んでくる「黒澤映画の脇役」ばかりをキャストに据えて作ったような豚汁において、「モノホンの端役のような淡い菜花の持ち味」は想像通りに殺されていた。

しかし、本来の食べ頃をとうに逃してしまい、文字通り「薹の立った」花を咲かせた菜花はこの汁物の中でもしっかりとした個性を放ち、僕の「意地汚さからモノを買い過ぎてしまった」という罪悪感を優しく慰めてくれている…。そんな優しい味がするように思った。