昨夜は中秋の名月

このブログにも「季節について」を書くことが多いのだけど、今日も季節行事について思うことを記しておく。

ニュース番組のお天気コーナーでは、ことあるごとに「二十四節気」とか「やたらに細かな季節ネタ」をやるのだけど、それは必然性があってのことだろうと僕は捉えている。

日本に伝わるそうした季節の風習を視聴者の興味はどうであれ伝承していくのが彼らの仕事の一つであるからだ。

 

毎年のことなのだけど、部屋の飾り手ぬぐいも夏が終わる頃には「ススキと満月のもの」に替えている。雅やかなことに欠ける僕の生活において、飾り手ぬぐいを掛け替えることは、季節の変化を受け止めるには大切なことなのだ。

 

さて、昨夜は中秋の名月で、SNSなんかを見ているとやたらに月の写真をアップしている人を見かけた。

月を見て季節を感じ日々の生活に彩りを添えるのは大いに結構なことだ。

 

昨夜は僕の住む地方でも、それはそれは見事な満月が上がっていた。夕方に見た月は赤く大きかった。空気も夏のものとは違って乾いていて、気持ちのいい秋の夜だった。

宵の口から秋風を受けながら月見酒でも楽しみたかったのだけど、昨日は夕方から楽団の練習に行っていたので、月が高く上がり多少小さく見えるようになってから酒を飲んだ。

バンドの練習に出掛けて帰宅してからはYou Tubeという便利な「CDとか持っていなくても唯で音楽を聴ける」楽しいことに溢れた現代だ。

わざわざ月を見なくともその他に見るべきものはあるだろうし、悠長に月を見ている時間などあるのだろうか?と思ったりもする。

 

季節の行事の多くは「結局はそれをきっかけにして何か儲けてやろう」という浅ましい考えてを持つ企業の働きかけて維持されているようにも思う。

SNSには満月の写真とともに「目玉焼きを挟んだハンバーガーを食べたよ。この時期ならでは!」なんていうバカな消費者による投稿も多く見受けられた。

玉子を目玉焼きにしただけのファストフードに「季節による旬」などない。細かな点ではフレーバーを変えてあるのだろうけど、目玉焼きと化学調味料を加えて数倍の値段にした工業製品のような食物を嬉しそうに食べる奴らは「消費文化の家畜」なのだろう。

厳しい夏の暑さを乗り越えてこれから収穫の秋を迎える。その前に一息つくことの出来る百姓の楽しみの一つだと「中秋の名月」を捉えたい。

 

そんな百姓生活への憧れを思い描いていたのだけど、1000年の昔も有閑階級の貴族は月を見て詩を詠んだりして楽しんでいたことに気付いた。

きっと貴族の中には月がなんてどうでもいいけどイイ詩を読んで女を口説きたい…とか邪まな月の楽しみ方をしていたやからもいたのだろう。

楽しみ方は自由なのだな…。