datetaira’s blog

日々の生活で思うこと

残りもの料理

昨日から仕事が始まった。

この冬休みは随分とのんびり過ごした気がしていたので、久しぶりの仕事はなかなかに辛いものなのかと思っていたが、特に辛くもなく普段通りの生活に戻ったように思う。

ただ、昨夜は「休み中の連日の大量飲酒」による疲れを感じていたので、夜は酒を飲まずにさっさとメシを食べて早くに眠った。

「春眠暁を覚えず」という言葉もあるのだが、布団から出られずにダラダラと眠っていたい気持ちになるのは、経験的に春よりも寒さが厳しくなる1〜2月のように思っている。

さて、一昨日の夜のことだが「残りものになってしまったどうにも食べたくなかった自然薯のとろろ汁」お好み焼きにして食べた。

年末に作った蕎麦汁と皮ごとおろした自然薯のとろろ汁にキャベツとネギ、そしてつなぎにする為の薄力粉を混ぜてタネを作り、安売りの豚コマと一緒にフライパンで焼いたものだ。

調理途中の写真だと「蕎麦粉を入れたガレット」でも焼いているかのような色なのだが、これは「自然薯を皮ごとおろしたこと」によるもの。

とろろ汁としては香りも味もワイルド過ぎて全く楽しめなかったものであっても「お好み焼きにすれば美味しく食べられるだろう」との期待を込めて作った「完全なる敗戦処理料理」みたいなものなのだけど、これは僕の「大逆転してくれないかという期待」には全く応えてくれない、特に美味いものでもなかった。

これは悲しいことだったが、僕自身の「料理に対する未熟さ」が生み出したものなので責任を持って全てを食べることにする。

料理をしない人から「どうすれば美味いものを作れるようになりますか?」というようなことを聞かれることもあるのだけど、僕は「とにかくものを考えて作り続けて、不味いものが出来上がってしまっても、なぜ不味くなったか考える事が大切だ。そしてそれを食べる…」と答える。これは大切なことだと思う。だから、不味いものでも自分が作ったものならば基本的には残さず食べる。…だから太るのだが…。

 

一昨日は一枚の豚玉を食べるともう満足だったのだけど、残ったお好み焼きタネを全て焼くと小振りの三枚になった。これらは粗熱を取ってからラップで包んで冷凍保存することにした。

ネットで調べたら「焼いたものを冷凍保存する」というのが一番のお好み焼き保存方法のようだったから…。

そう言えば、年末に作ったものの食べ切れずに残していたトマトソース(これもレバーや牡蠣のオイル煮の再生料理なのだが…)をどうにかしようと思って、冬休みのうちにマカロニを加えて食べたのだった。

この時のマカロニも軽めの皿によそっただけなのに一皿食べるともう沢山…という状態になってしまい、残りはタッパーに入れて冷凍保存したのだった。

そんな訳で、現在の冷凍庫は「レンジで温めればすぐに食べられるような冷凍食品」に溢れている。お好み焼きとかトマトソースのパスタ…なんて、本当に冷凍食品売場で人気を博しているような食品ではないか。それも割とちゃんとした食材を作った手料理なのだけど…。

…なのに、これらを喜んで食べられるような期待値は全くない。義務感とか責任感はずっしりとのしかかってくるのだけど…。

なにかテキトーに作ったものであっても、これまではそれなりに食べ切ることが出来ていた。その日のうちに食べ切らないとしても、数日のうちにありがたく食べていたはずだ。

こうした残りものに対して「もったいないことをしたらいかんという重圧」を感じるのは、僕の経済観念が成長していることによるものだろうけど、保存したものに対して楽しみを感じられなくなっているのは「加齢による食の好みの変化」なのだろう。